折々のトピックス



大学同期の野草の会で『世田谷の砧公園・馬事公苑界隈』を散策してきました(編集 2024.4.7.).

 砧公園は桜も満開でお花見客で溢れていました.このような見事な桜の木には初めて出会いました.

東京新聞の連載記事『能登から見る3.11後の原発防災 ㊤,㊥,㊦』をここに転載させていただきます(編集 2024.3.11~13.).

 連載記事の冒頭の部分を以下に転記しておきます.「ひび割れた道路にできた長い車列. バスの中で息絶えた高齢者たち. 2011年3月11日, 激しい揺れと大津波に襲われて起きた東京電力福島第1原発事故. 住民避難は混乱を極め, 多くの人が被ばくを強いられた. そして見直された避難と事故対策のあり方に, 13年をへて致命的な問題が露呈した. 能登半島地震. 自然の脅威が再び問いかける. 原発と共存できるのか? 半島の被災地で答えを探した.」

北國新聞社が刊行した『特別報道写真集 令和6年能登半島地震』の概要をここに転載させていただきます(編集 2024.2.25.).
つづき 1
つづき 2

 能登半島地震から約1ヶ月半,早くも能登半島地震の報道写真集を刊行された北國新聞社(石川県の地元紙)に心からの敬意を表したく存じます.地震の被災者が今回の地震の概要や被害の大きさ・拡がりを理解され,避難生活の一助とされる上で,大変有用な資料となることでしょうし,私ども災害現場を直接知らない者にとっては何よりの参考資料になります.凡そのことは毎日の報道を通じて把握しているつもりですが,まずは被害写真の迫力に圧倒されてしまいます.内容としては被災者の救助・捜索のことから避難生活の状況,生活支援の様子などにも多くのページが割かれておりますが,ここでは被害状況と学術上の災害の特色に的を絞って資料を収集させていただきました.

ポインセチアの鉢植えを見ながらネット検索してみました(編集 2024.2.20. 追加 2024.3.4.).

 以前にも何度かポインセチアの写真を掲載させていただきましたが,ポインセチアの赤い色にはほのぼのとした温かみを感じます.以前に奄美大島や沖縄で見た野生のポインセチアは実に伸び伸びと育っていました.一度,わが家でも大きく育って木になりかけましたが,いつの間にか寒さにやられてしまいました.ネット検索を頼りに育て方のコツなどを調べてみました.

前回に続いて,ご近所散歩で見かけた植物の美しさを集めてみました(編集 2024.2.10.).

 ご近所を散歩しながら目につく植物はそれぞれに色艶やかで,冬景色は決して殺風景ではありません.ご近所には何軒か注目すべき庭があって,勝手に楽しませていただいております.晩白柚の庭もその一つです.以前に沖縄で撮影した野生のポインセチアもここに加えさせていただきました.

東京新聞が連載している『解かれた封印 外苑再開発の真相』をここに転載させていただきます(編集更新 2024.2.3.).
つづき(編集更新 2024.2.5.)

 冒頭の連載の主旨を以下に転載させていただきます.「明治神宮外苑が大規模再開発の波にさらされている. 先人たちが厳しい規制をかけて100年近く守ってきた都心の緑. 誰が何のために開発への封印を解いたのか. 再開発に至った経緯をひもとく.」
 また記事による背景説明も以下に転載させていただきます.「外苑再開発は今… 東京都は2023年2月, 事業を認可. 3月に神宮第2球場の解体を皮切りに再開発の工事が始まった. それでも大量の樹木伐採への懸念から, 計画見直しを求める声はやんでいない. 樹木伐採が迫りつつあった9月になって, 小池百合子知事が事業者に樹木保全の具体策を示すように指示. 樹木伐採はいったん見送られた. 事業者代表の三井不動産は現在, 保全策を検討中. まとまれば環境影響評価(アセスメント)書の変更届を都の審議会に報告する予定で, 伐採の開始時期の見通しは立っていない.」

ご近所散歩で冬でも見られる草木の美しさを集めてみました(編集 2024.1.25.).

 ご近所を散歩しながら目につく植物はそれぞれに色艶やかで,冬景色は決して殺風景ではありません.

2007年能登半島地震の問題点をまとめた資料を再掲させていただきます(編集 2024.1.25.).
能登半島地震2007の震災フローチャート

 今回の能登半島地震から3週間が過ぎて,この震災の本質がおぼろげながら見えてきたような気がしています.震災対応には未だ不十分な点がたくさんありますが,新聞やテレビで報じられる被災地の様子をみていますと,2007年能登半島地震との共通点が多いことに気づかされます.もちろん震災の規模は今回の方が遥かに甚大なのですが,今後の参考のために2007年当時の資料を再掲させていただきます.

東京新聞の特集記事『砂川闘争終わっていない 事件から67年,国賠訴訟あす判決』を転載させていただきます(編集 2024.1.14, 追記 1.16.).

 記事の冒頭部分を以下に転載させていただきます.「東京都立川市の陸上自衛隊立川駐屯地の脇に柵に囲まれた空き地がある. この目の前で1957年,旧米軍立川基地の拡張計画に反対する市民が警官隊らと衝突した「砂川事件」が起きた. 事件で有罪とされた人たちが国に損害賠償を求めた訴訟の判決が15日,東京地裁で言い渡される. なぜ長い月日を経て裁判をしているのか. 背景をひもとくと基地を巡る日米のいびつな関係が見えた.」

今朝の北國新聞(石川県の地元紙)をここに転載させていただきます(編集 2024.1.7.).
つづき 1
つづき 2

 能登半島地震から約一週間.新聞記事の内容にも一段と生活情報の比重が増してきました.しかしその一方で,犠牲者と行方不明者のお名前の多さに愕然としてしまいます.

一昨日の能登半島地震の報道で特に気になった被害に注目してみました(編集 2024.1.3.).

 今回の能登半島地震では,まず木造住宅の全壊が予想以上に広域で,犠牲者の数が徐々に増える報道に心が痛みました.それ以外の震災の特徴としては次の3点に目が止まりました.1つ目は輪島市朝市通りがほぼ全焼した大規模な地震火災で,1995年兵庫県南部地震の際の鷹取・長田町の火災を思い出しました.2つ目は同じく輪島市河井町交差点に建つ輪島塗五島屋ビルの転倒破壊で,1964年新潟地震の際の県営アパートの転倒とよく似ていると思いました.恐らく貧弱な基礎構造と軟弱な地下構造に原因があるものと思われます.そして3つ目は金沢市田上新町の斜面崩壊です.不充分な斜面対策の宅造地と云えばそれまでですが,よく見られる地盤災害の典型のように思われました.この田上新町の崩壊地区は,全くの偶然ですが2019年に建築学会年次大会のために金沢を訪問した際に立ち寄った金沢大学附属薬用植物園のすぐ近くにありました.

今朝の北國新聞(石川県の地元紙)をここに転載させていただきます(編集 2024.1.3.).
つづき

 大きな災害が発生した時,被災者にとって最も頼りになるのは地元紙の存在です.そこには災害情報だけでなく当面の生活に必要な情報も紙面を惜しますに提供されるからです.記事の細部を読むことは難しいですが,紙面構成だけでも充分参考になりそうです.

謹賀新年(編集 2024.1.1.).

 新年おめでとうございます.新しい年が戦争や災害のない平和な一年でありますように!

Merry Christmas!(編集 2023.12.24.).

 メリークリスマス! 来年に向かって,戦争や災害のない平和な一年でありますように!

東京新聞の連載記事『「約束」の今 東京電力と原発 ㊤,㊥,㊦』をここに転載させていただきます(編集更新 2023.12.23.).

 紙面によりますと連載の趣旨は次の通りです.「福島第1原発事故を起こした東電が、柏崎刈羽の再稼働に向けて自らに課した「約束」は守られているのか。その現在地を見た。」

大学同期の野草の会で『世田谷界隈』を散策してきました(編集 2023.12.16.).
つづき

 大学同期の野草の会で東京都の世田谷界隈を散策してきました.目的地は先日NHKテレビで放映されていた『ブラタモリ』をヒントにして,選定したのは①世田谷代官屋敷,②松陰神社,③世田谷区役所,④世田谷城跡,⑤豪徳寺の5ヵ所でした.

大森淳郎著『ラジオと戦争』と岸田文雄著『核兵器のない世界へ』という2冊の本に出合いました(編集 2023.12.7.).
つづき

 大森淳郎著『ラジオと戦争』は斎藤美奈子氏の東京新聞本音のコラムで紹介されていたもので,岸田文雄著『核兵器のない世界へ』はたまたま古書店で見かけたものです.政治家というものは短期間のうちにこうも言うことが変わるものでしょうか.

東京新聞の連載記事『医療の値段~第2部 診療報酬を巡る攻防 ①~⑤』をここに転載させていただきます(編集更新 2023.12.12.).

 紙面によりますと連載の趣旨は次の通りです.「「医療の値段」を決める診療報酬改定. 8回連続(2016年)でプラス改定が続くが, 報酬アップは国民の負担増につながる. 票とカネによる政治力を排した公正な議論は行われるのか. 攻防の現場を追う.」

秋深し 5(編集 2023.11.27.).

 さらに自宅の庭やご近所散歩で撮影した秋の草花や木の実を集めてみました.約8000歩の散歩中にスマホで撮影した写真からの抜粋です.

秋深し 4(編集 2023.11.21.).

 引き続き自宅の庭やご近所散歩で撮影した秋の草花や木の実を集めてみました.

秋深し 3(編集 2023.11.2.).

 自宅の庭やご近所散歩で撮影した秋の草花や木の実を集めてみました.

秋深し 2(編集 2023.10.19.).

 調布市の神代植物公園を散策してきました.入口で珍しい松かさや木の実の展示をしていて,初めてタイサンボクの実を見ました.そのお蔭で深大寺の境内では実物に出会うことができました.オニバスの花にも初めて出会ったような気がします.園内の植物会館では牧野富太郎ゆかりの植物や植物画の展示がありました.お昼の深大寺蕎麦もなかなか美味でした.

秋深し(編集 2023.10.17.).

 町田市の都立小山田緑地を訪ねて深まる秋を満喫してきました.春にはイチリンソウやキンラン・ギンランが楽しめましたが,今の季節もクサギやゴンズイの木の実,オケラやツリフネソウの花など,充分に楽しめました.秋空の彼方,丹沢山系の向うに富士山がほんの少しだけ雪の頭をのぞかせていました.

大学同期の野草の会で『城南五山』を散策してきました(編集 2023.10.9.).

 品川駅から目黒駅に向かって城南五山,すなわち御殿山,八ツ山,島津山,池田山,花房山を巡るコースを散策してきました.小河川によって刻まれた武蔵野丘陵の凹凸を体力の限り悪戦苦闘の連続でした.

寺家ふるさと村の秋(編集 2023.9.26.).

 ようやく秋の気配を感じて,久しぶりに寺家ふるさと村を歩いてきました.わずか5000歩の中にたくさんの秋を見つけることができました.

京都大学で開催された建築学会年次大会に参加してきました(編集 2023.9.17.).
つづき

 2019年に金沢工大で建築学会年次大会が開催されてからしばらくの期間,新型コロナのために全国大会は開催できない状況にありましたが,今年は久しぶりに京都での開催となったため,参加させていただくことになりました.せっかくの機会なので9月11日に横浜を出発し,四国で墓参りを済ませてから京都に入りました.11日から15日までの4泊5日の滞在期間中,京都市内で撮影した観光名所と植物の写真を編集してみました.

残暑お見舞い申し上げます(編集 2023.8.16.).

 

東京新聞の連載記事『医療の値段 環流する票とカネ ①~⑥』をここに転載させていただきます(編集更新 2023.7.23.).
東京新聞の連載記事『医療の値段 環流する票とカネ 番外編 ㊤,㊦』(編集 2023.8.1.)

 紙面によりますと連載の趣旨は次の通りです.「新型コロナウイルス禍で病院にかかれない 「医療難民」 が街にあふれ, 脆弱ぶりが露呈した日本の医療提供体制. 国民皆保険制度も存続の危機にひんする. 長年改革が進まないのはなぜか. 年末の診療報酬改定に向け議論が活発化する中, 票とカネが絡み合う改定の舞台裏を検証し, 改革を阻んでいる要因を探る.」

暑中お見舞い申し上げます(編集 2023.7.12.).

 

東京新聞の連載記事『100年の残響 日比谷野音ストーリー (1)~(6)』が面白そうなのでここに転載させていただきます(編集更新 2023.12.10.).
東京新聞の連載記事『100年の残響 日比谷野音ストーリー 番外編 (上),(下)』(編集 2024.1.18.)

7月に入って暑さとともに草花は一段と活気づいているようです(編集 2023.7.9.).

 

俵万智著『サラダ記念日』を読み直しているところです.歌集自体も感動的ですが,佐々木幸綱氏と俵氏の師弟関係にも心打たれるものがあります(編集 2023.7.7.).

 追記 (2023.9.26.):昨日のNHKテレビ「あさイチ」で,俵万智さんが <『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日> の裏話を披露してくださいました.短歌を詠むのには多少のウソも許されるのだとか.君が美味いと言ったのはサラダではなくカレー味の唐揚げで,7月6日も実際の日にちではなくゴロが良かったからだそうです.

大学同期の野草の会で高尾駅近くの多摩森林科学園を散策してきました(編集 2023.6.30.).

 高尾駅北口に集合する前に,路線ナビに従って片倉駅で横浜線から京王線に乗り換えましたが,降りてびっくり,横浜線と京王線の駅は随分離れていて,お蔭で歩きながら沢山の植物に出会えました.高尾駅に到着したのは集合時刻の1時間前,駅前に「とろろそば」ののれんを見てお昼にしたのですが,そのお蕎麦の不味いこと.気を取り直して高尾駅周辺でも植物を探してひと回りしました.本番の野草の会も含めて帰宅まで15,000歩はさすがに疲れました.

東京新聞の連載記事『ガウディが見た世界 ①~③』をここに転載させていただきます(編集 2023.6.20.).
『ガウディが見た世界 ④~⑤』(編集 2023.6.22.)

東京新聞の連載記事『みんなのミカタ 片耳難聴になって ㊤㊥㊦』をここに転載させていただきます(編集 2023.6.17.).

東京新聞の連載記事『汚れた水 PFASを追う ①~⑤』をここに転載させていただきます(編集 2023.6.16.).

今日,駅前の書店で幸運にも週刊朝日最終号を購入することができました(編集 2023.6.12.).

 週刊朝日最終号が5月30日に発売されたはずですが,何処を探しても見つかりませんでした.今日,たまたま駅前の書店を覗いたところ,週刊誌コーナーに数冊積んでありました.恐らく,苦情殺到のため増刷されたのだと思います.中身の方はともかく,まずは表紙に圧倒されましたので,ここに転載させていただきます.

6月も半ば,周囲にはさらに美しい花々があふれています(編集 2023.6.10.).

 雨の合間を縫って,近くの寺家ふるさと村やもえぎ野公園で美しい花々に出会っています.

早くも6月,周囲には美しい花々があふれています(編集 2023.6.3.).

 6月といえばまずアジサイでしょうか.最近ではユニークなガクアジサイやカシワバアジサイが目につきます.買い物やご近所散歩にはスマホカメラが欠かせなくなりました.いつ美しい草花に出会えるかわかりませんから.

大学の建築同期の仲間で伊豆半島南部の下田・松崎を訪ねる機会がありました(編集 2023.5.22.).
伊豆下田・松崎の草花(付属資料)

 大学同期会で『傘寿を祝う会』なるものを伊豆松崎に宿泊して行いました.野草を愛でながらナマコ壁の街並みを散策し,温泉で疲れを癒すという至福の時を過ごすことができました.

朝日新聞デジタルの心温まる記事を転載させていただきます(編集 2023.5.16.).

 その記事のタイトルは『とりけんきゅうじょにひなが来た 自然界はやっぱり厳しい…けれど』福岡市の筑紫女学園大付属幼稚園の一人の先生が園児とともに巣箱に入ったシジュウカラのヒナの成長を見守った感動的な記録で,動画も付けられていました.

いま高橋秀実氏の著作にはまっています(編集 2023.5.14.).

 高橋秀実著『おやじはニーチェ 認知症の父と過ごした436日』についての婦人公論.jpと橋本五郎氏(読売新聞特別編集委員)による書評を転載させていただきます.

久しぶりに近所の寺家ふるさと村を散策してみました(編集 2023.5.12.).

 寺家ふるさと村では田植えの準備中.すっかり緑が濃くなって,これから夏に向かって一直線といったところです.リュックを背負った高齢者のグループや大きな望遠カメラを担いだ鳥屋さん達で結構にぎわっており,ウグイスも声を競い合っていました.

ごくわずかの間にもう初夏の風を感じるようになりました(編集 2023.5.10.).

 ご近所散歩や買い物の途中で出会った植物を集めてみました.わずか2日間で結構集まるものです.

季節は早くも春から夏へと移り変わろうとしているようです(編集 2023.5.3.).

 ご近所を散歩していますと良く手入れされた庭々の植物は,早くも春から夏へと衣替えを始めたようです.ジュンベリーやブルーベリーは蝶や小鳥の来訪を受け入れているうちに,花から果実へと姿を変えています.

5月1日付け東京新聞こちら特報部に大変気になる記事がありましたのでここに転載させていただきます(編集 2023.5.1.).
つづき1 科学技術系分野における任期付き研究者の雇用問題解決に向けての要望
つづき2 科学技術系分野における任期付き研究者の雇用問題解決に向けての要望(付属資料)

 5月1日付け東京新聞の『氷河期世代の科学技術系研究者 不安定な任期付きポスト』なる記事は大学関係者として無視しがたいものです.2004年の独立法人化によって大学は窮地に立たされました.運営交付金が減額されたことで研究継続のためには,これまで以上に研究費を自力で賄う必要に迫られましたが,大きな研究プロジェクトのみ優遇されて,個別の競争的資金は極端に削減されてしまいました.この時に大学の自由な研究は終わったと感じました.博士課程の定員を満たすことにいくら努力してもポスドクの若手研究者が活躍できる環境はついに整いませんでした.本当に気の毒な研究環境でした.せっかくの機会ですので,3月27日に一般社団法人「男女共同参画学協会連絡会」が待遇改善のために作成した文科省あて要望書も添付させていただきます.

大学同期の野草の会で多摩センター周辺を歩いてきました(編集 2023.4.23.).

 多摩ニュータウンの開発が行われたのは我々の学生時代であったからもう60年近くになる.近年では居住者の老齢化が大きな社会問題になり,地域の再開発がどのように進められるかが注目されてきた.今回,たまたま野草の会のお蔭で,多摩センター周辺を半日歩いてみる機会に恵まれ,多摩ニュータウンの現在の姿を再認識することができた.かつての団地のイメージはどこにも見当たらなかった.

わが家とご近所の庭の植物を写真に収めました(編集 2023.4.23.).

東京新聞が連載している『この国で生まれ育って「入管法改正」の陰で』を転載させていただきます(編集 2023.4.15.).

 連載の趣旨を記事の中から以下に転載させて頂きます.「在留資格のない外国人の強制送還を促進する入管難民法改正案の国会審議が13日から始まる. その陰で, 日本で生まれ育ちながら在留資格がなく「仮放免」という立場に置かれた外国人の子どもたちの過酷な実態が置き去りになっている. 小さな苦悩の声を4回にわたり緊急報告する.」ところで入管庁と云えばかねてからの“ウィシュマさん死亡問題”を抜きにして語ることはできませんので,少し報道を遡って関連記事も転載させていただきました.

春らんまんのご近所散歩を楽しんでいます(編集 2023.4.6.).
つづき(編集更新 2023.4.11.)

 

大学同期の野草の会でもう一度お花見をしてきました(編集 2023.3.29.).

 

春の草花を愛でるためにいくつかの場所を散策してきました(編集 2023.3.27.).

 自由が丘・大岡山にはさくら見物に,近所のもえぎ野公園には春の草花を見に出掛けました.

近所の寺家ふるさと村を散策してきました(編集 2023.3.20.).

 冬の間ご無沙汰していましたので,久しぶりに寺家ふるさと村を訪ねてみました.そこにはたくさんの芽吹きや早春の草花が見られました.

好天の日曜日に城山カタクリの里の中を散策してきました(編集 2023.3.19.).

 毎年恒例となった城山カタクリの里めぐりです.3月にはアカバナカタクリが,4月に入るとキバナカタクリが楽しめます.好天の日曜日とあってリュックを背負い大きなカメラを持った人たちで溢れていました.スマホで写真を撮るのが恥ずかしいくらいでした.

最近の東京新聞の記事をもとに北陸地方の原発問題に注目すると…(編集 2023.3.4.).

野草の会のグループで川崎市内の東高根森林公園と緑化センターを散策してきました.ついでに久地円筒分水も見てきました(編集 2023.2.20.).

東京都世田谷区の崖崩壊現場を見てきました(編集 2023.2.16.).

 テレビの報道番組を視聴しただけでは2月13日に発生した崖崩壊の現場の様子がよく判りませんでしたので,現場を訪ねてみました.実際に現場を確認することで状況をなんとか理解することができました.

横浜の港北ニュータウンにある都筑中央公園の周辺を散策してきました(編集 2023.2.14.).

 病院通いの合間に港北ニュータウンの中の都筑中央公園の周囲を散策してきました.心行寺という浄土宗のお寺にはいつも何某かの発見があります.公園の中の小さな池が網で囲われていて,立て札にはカエルの産卵中であることの説明がありました.耳を澄ますとカエルの鳴き声が聞こえました.寒い中にも少しずつ春の兆しを感じます.

朝日新聞デジタルが連載している『NHK考 公共放送を問う』をここに転載させていただきます(編集 2023.2.13.).

昨日トルコ中南部で発生した大地震について記事を集めてみました(編集 2023.2.7.).
つづき(編集更新 2023.3.2.)

 トルコはわが国と同様に地震国で,これまで何度も被害地震に遭ってきました.今回の地震はM7.8と非常に大きく,震源から約100km離れたアダナ(トルコ)やアレッポ(シリア)で下の写真のような被害が発生するとはただごとではありません.今後の現地報道や被害報告を見守りたいと思っています.
 それにしても写真を見て驚くのは,完全に崩壊した手前の建物と背後の健全そうに見える建物との対比です.崩壊した建物は耐震規定を無視した余程ひどい建物だったと思わざるを得ません.

2月2,3日にパシフィコ横浜で開催された『震災対策技術展』に参加しがてらみなとみらい横浜を散策してきました(編集 2023.2.5.).

我が国の衰退を憂えている時に「目から鱗」の記事を週刊新潮誌上に見つけました(編集 2023.1.30.).

 週刊新潮1月26日号に掲載されていた河合雅司氏の記事『少子化「ディストピア日本」解決編 「人口減少」でも豊かに暮らす「4つの方策」』を目にして,昨日来の憂鬱な気持ちが少しすっきりしました.本サイト“備忘録ないしは切り抜き帳(1月29日)”もご参照ください.

東京新聞に連載されている『首都圏を襲った巨大地震 関東大震災100年』をここに転載させていただきます(編集 2023.1.8.).

東京新聞“こちら特報部”に連載されていた『コロナ8つの波〜あれはどうなった?』をここにまとめて転載させていただきます(編集 2023.1.11.).
つづき

元日に参拝した子ノ神社の碑文と庚申塚に注目してみました(編集 2023.1.5.).

 元日に三社参りをしてきました.と云ってもご近所の散歩を兼ねたもので,寺家ふるさと村の甲神社,熊野神社とたちばな台の子ノ神社を回って約1万歩を要しました.
 今回は子ノ神社に注目したネット検索で,凡その来歴を知ることができました.石碑を読み取るのは一見して難しそうですが,写真を加工して拡大してみると結構読み取れることが判りました.庚申塚には一定のルールがあることも興味深く感じられました.

謹賀新年(編集 2023.1.1.).

 

参考資料:ユーラシア北西部の地図を添付させていただきます(編集 2022.12.27.).

 本日の“備忘録ないしは切り抜き帳”に転載させていただいた毎日新聞社説の『中央アジアと日本 地域の安定に連携強化を』と題する論説は,中央アジア5ヵ国(カザフスタン,キルギス,タジキスタン,トルクメニスタン,ウズベキスタン)とわが国との外相会談に関するものでした.その地域の地図を添付しましたところ,容量制限の関係で地図が不鮮明でしたので,ここに同じ地図を掲載させていただきまず.地図は帝国書院の『ワールド・アトラス』によります.

東京新聞に『雪虫』についての面白い記事がありましたので,ここに転載させて頂きます(編集 2022.12.20.).

朝日新聞論座に『山本文緒『無人島のふたり』を読んで─その強靱な意思と激しさ』と題する興味深い記事が掲載されていましたので,ここに転載させて頂きます(編集 2022.12.1.).

東京新聞の特集記事『崩れゆく専守防衛~検証・敵基地攻撃能力』をここに転載させていただきます(編集 2022.11.30.).

 特集記事を手掛けた編集者の意図は次の通りです.「岸田政権は年末に国家安全保障戦略を改定し, 日本が戦後一貫して持ってこなかった「敵基地攻撃能力」の保有を決定しようとしています.ロシアのウクライナ侵攻や中国,北朝鮮の脅威を前に,日本の安全保障に対する国民の不安と懸念は存在しています.しかし,敵基地攻撃能力を持ち,武器や兵器を増強していけば「専守防衛」が崩れゆくことになりかねないのも確かです.本当に国民の安全は高まるのか,かえって国民の命を危険にさらすことにならないか,安保政策の大転換となる判断の是非を問います.」

大学同期の『野草の会』で晩秋の昭和記念公園を散策してきました(編集 2022.11.22.).

 昭和記念公園は2回目の訪問になります.カエデの紅色もイチョウの黄色もとても鮮やかで心が洗われる思いでした.前回の訪問は2015年11月5日のことで,その時は60年前の砂川闘争の跡地を訪ねるのが第一の目的でした.本サイトにレポートを掲載していますのでご参照ください. http://sismosocial.web.fc2.com/tachikawa.pdf, http://sismosocial.web.fc2.com/HigashinipponEQ23.pdf

東京新聞の連載記事『兵馬俑と古代中国』を転載させていただきます(編集 2022.11.15.).

 上野の森美術館で開幕する展覧会「兵馬俑と古代中国〜秦漢文明の遺産」に合わせて東京新聞が特集している国際面の連載記事を転載させていただきます.以前(1997年)に日中共同研究のワークショップが西安で開催され『兵馬俑』を見学した時の感動を思い出しています.

入院のベッドから毎日『ツバキ公園』を見て過ごしていました(編集 2022.11.11., 追記 11.19.).

 よく散歩をするルートの一つに丘の上の小さな公園があります.正式には〇〇第△公園というそうですが,家内が付けた名前は「ツバキ公園」,冬に咲くヤブツバキがとても気に入っているからだそうです.このたび思わぬことから入院するはめになり,11日間を窓際のベッドで過ごすこととなりましたが,幸いにもそこから見えていたのが「ツバキ公園」でした.公園から見る景色も素晴らしいものでしたが,逆に病院の窓から眺める公園も見事でした.朝から晩まで見ていても決して飽きることはありませんでした.

神代植物公園の温室でタビビトノキの花を確認しました(編集 2022.10.29.).

 タビビトノキの花は確かにストレリチア(ゴクラクチョウカ)の花に似ていました.今度はコバルトブルーの種を見てみたいものです.

秋晴れのさわやかな朝にご近所を散歩してきました(編集 2022.10.20.).

 

東京新聞の<南海トラフ 揺らぐ80%>と題する特集記事を転載させていただきます(2022.10.23.編集更新).

 東京新聞は9月11日朝刊で,南海トラフ地震の発生確率を算出する根拠とされた地盤の隆起は人為的な工事の影響を受けている可能性があり,80%予測の信ぴょう性が揺らいだと報じていました.地震への備えが重要なことに変わりはありませんが,疑義のある確率はなぜ生まれ,なぜ使われ続けるのか.古文書の調査から見えてきた「80%」の正体が6回連載で報告されます.

雨の中,相模原公園のサカタのタネグリーンハウスを散策してきました(編集 2022.10.8., 追記 10.10.).

 

神代植物公園の秋を満喫してきました(編集 2022.9.30.).

 

川崎市多摩区の生田緑地を散策してきました(2022.9.26.編集).

 少し足を延ばして川崎市多摩区にある生田緑地をお弁当を持って散策してきました.あいにくの月曜日で民家園や美術館は閉まっていましたが緑を満喫することができました.健康でいられることに感謝,感謝の毎日です.

近くの公園を散策して秋の草花を楽しんでいます(2022.9.22.編集).

 寺家ふるさと村に続いて横浜青葉区のもえぎ野公園や鶴見川中流域沿いの畑を散策して秋の気配を感じています.健康でいられることに感謝,感謝の毎日です.

約2年前に東京新聞が特集した『南海トラフ 80%の内幕』を編集してここに掲載させて頂きます(2022.9.11.編集).

 本日の東京新聞が1面トップで『南海トラフ地震 30年以内の発生確率「70~80%」に疑義』なる記事を掲げていました.その記事は本サイト“備忘録ないしは切り抜き帳”に転載させて頂いていますが,そこでレファーされていた2年前の特集記事をここに採録させて頂きます.

久しぶりに近隣の寺家ふるさと村を歩いてきました(2022.9.4.編集,9.10.追記,9.17.追記).

 この夏の酷暑とコロナ禍のためにしばらく野草の散策ができないでいましたので,本当に久しぶりに寺家ふるさと村を散策してきました.日曜日で好天にも恵まれましたので人出はまずまずで,その内訳は昆虫網や魚網を持った家族づれ,大きなカメラと双眼鏡を持ったバードウォッチャーの一団,それにそぞろ歩く野草観察のグループでした.目的の一つはツルニンジンの花にありましたが,蕾は見つかったものの開花にはあと1~2週間必要かなと思われました.周囲の森の中ではミンミンゼミとツクツクボウシの大合唱で,暑さが残る中にも確実に秋の気配を感じることができました.因みに歩いた歩数は5,500歩でした.(9/4)
 一週間後にもう一度,寺家ふるさと村を訪ねました.目的はもちろん,一週間前に蕾だったツルニンジンの開花を確かめるためでした.ところがどうしたことか,先週ツルニンジンを見つけた場所はすべて刈り取られていました.農家の人にとっては雑草かも知れませんが,ここは横浜市が支援している「寺家ふるさと村」という名の市民のための緑地ですから,農家の人にも少しは野草のことを理解して戴きたいものです.なかなか見られない野草ですので,なんとか他の場所を探さないといけません.(9/10)
 さらに一週間後,もう一度ふるさと村を訪ねました.執念でツルニンジンの開花を確認することができました.あたりはもうすっかり秋の気配,田んぼでは稲刈りの真っ最中,ヒガンバナが咲きだしていました.もうすぐお彼岸です.(9/17)

暑中お見舞い申し上げます(編集 2022.7.28.).

 

福岡市で防災セミナーに参加した機会に,福岡県うきは市の筑後川沿いを歩いてきました(2022.6.28.編集).
つづき

 2017年九州北部豪雨の直後に筑後川右岸の朝倉市杷木地区の水害調査を行っていましたが,その後,帚木蓬生著『水神』に出会い,その物語の舞台が筑後川のちょうど対岸に位置していることを知りました.今回はその『水神』の方に焦点を当てて,うきは市大石地区を訪ねてきました.うきは歴史民俗資料館には詳しい方がおられて『大石堰』についての丁寧な説明を受けました.小学生の団体や『水神』を読んで来たと云う人が結構多いとのことでした.もう一つ,この周辺に点在している色彩古墳も見学したかったのですが,予約が必要とのことで今回は断念せざるを得ませんでした.
 当日は物凄い豪雨で,何度もずぶ濡れになりながらの現地視察となりました.うきは駅の駅員さんが「今日は電車が止まるかも知れない」と言うのでまさかと思っていましたが,帰路の久留米駅で本当に電車がストップしてしまいました.駅のアナウンスは「申し訳ありません」を繰り返すだけでしたが,新幹線が動いていることに気が付いて急遽それに乗り換え,福岡空港からシニア割を利用して何とか自宅に辿り着きました.

新潟日報の記事に触発されて新潟地震(1964)の人的被害について資料を調べてみました(編集 2022.6.19.).

東京新聞の連載記事『参院選・くらしの現在地』がたいへん興味深いので,ここに転載させていただきます(更新 2022.6.20.).

大学同期の野草の会で秦野駅から葛葉緑地までを歩いてきました(2022.6.6.編集).
その2
その3

 師匠K氏のもとで継続実施中の大学同期の野草の会は,最近のコロナ禍のために長らく中断していましたが,5月28日にようやく再開の運びとなりました.秦野へはこれまで大山登山や震生湖訪問などの機会がありましたが,葛葉緑地は初めての体験でした.
 小田急秦野駅から乳牛通り沿いの民家の植物を鑑賞し,曾屋浄水場跡,曾屋神社を経由して葛葉緑地に至りました.周囲を完全に住宅地に囲まれながら緑地の中に峡谷が刻まれている様は,東京世田谷の等々力渓谷に似ているようにも思いましたが,葛葉川の清流がこの狭い地域の中で曲がりくねっている峡谷特有の地形には,何となく違和感がありました.この違和感は一つの文献によって解消されました.葛葉川の局地的な屈曲を創り出していたのは周囲の度重なる火山活動と秦野断層との共同作業だったようです.さらに大袈裟に申しますと,フィリピン海プレートがアジアプレートと衝突したことによる副産物と云ったところでしょうか.

朝日新聞デジタルが配信した記事『地震で海底に沈んだ?「白石村」古地図,神社に残る痕跡』がたいへん興味深いので,ここに転載させていただきます(編集 2022.5.13.).

東京新聞に連載されている『沖縄は復帰したのか~50年の現在地』をここに再掲させていただきます(更新 2022.5.5.).
その2(更新 2022.5.8.)

西日本新聞に『福岡・筑後地方で「逆さ虹」目撃相次ぐ 珍しい「環天頂アーク」』と題して大変珍しい写真が掲載されていましたので,ここに再掲させていただきます(編集 2022.4.16.).

いまロシアから攻撃を受けようとしているウクライナの首都キエフの街をグーグルマップ上で散策してみました(編集 2022.3.14.).

 グーグルストリートマップでキエフの街中を散策してみますと,教会建築やその他の古風な建物と森に囲まれ,ドニエプル川が街の中心を流れていて,とてもやすらぎのある美しい都であることが実感できます.同じスラブ系民族であるロシア(と云うよりはプーチン一人)によって壊滅的打撃を受けようとしています.とても許されることではありません.

2月6日に朝日新聞デジタルが配信した『ウクライナ危機の深層 米欧とロシア長年の反目 最悪のシナリオは』と題する記事を転載させて頂きます(編集 2022.2.6.).

 朝日新聞モスクワ特派員発「これからロシアはどう動くのか. 最悪のシナリオがウクライナへの侵攻だ. 10日からはベラルーシでの合同軍事演習が本格化する. 同国国境からウクライナの首都キエフまでは100km弱で, 侵攻となれば一気に首都に迫る懸念も指摘される. 偽情報やサイバー攻撃を絡めた「ハイブリッド戦争」を仕掛ける可能性もある. 約20万人の兵力を有するとされるウクライナ軍は欧米の支援で装備を強化しており, 戦争は泥沼化しかねない. 他国に戦火が拡大する恐れもあり, 侵攻は欧米としても最も避けたい事態だ. 欧米を揺さぶるため, ロシアが親ロシア派が支配するウクライナ東部での戦闘を激化させる可能性も否定できない.」状況は予断を許さないようです.

大学同期の友人K氏から母校の教育内容が朝日新聞に紹介されていることを教えて戴きました.非常に興味ある内容でしたのでここに転載させて頂きます(編集 2022.1.29.).

 一つは『理工系の教養改革はいま』と題する3回シリーズで,「水俣病から学ぶ科学倫理」など,東工大リベラルアーツ研究教育院の最近の教育内容が紹介されており,もう一つの記事も「東工大 水俣病の「封印」解き教養改革」と題して,科学者の倫理を学ぶ動きが紹介されています.東工大には昔から理工系一筋ではなく教養課程で人文系の素養を大切にするユニークなカリキュラムが多数あったのですが,それが今も「リベラルアーツ研究教育院」に受け継がれているようで,とても頼もしく思っている次第です.

伊豆下田の白浜海岸を起点にアロエの里『アロエまつり』と爪木崎『水仙まつり』を訪ねてきました(編集 2022.1.10.).

 関東地方に雪が積もった翌日の1月7日から8日にかけて暖かい伊豆下田をドライブしてきました.白浜海岸から見た夜明けの海は実に神々しく感動的でした.先般の新聞記事に触発されて,いやというほど沢山のキダチアロエの花にも出会ってきました.

熱海伊豆山の土石流災害現場に立ち寄ってきました(編集 2022.1.9.).

 伊豆下田への1泊ドライブの帰路,昨年の熱海伊豆山土石流災害の現場に立ち寄ってみました.周辺道路の閉鎖は解除されていましたが,被災現場では未だにブルドーザーが稼働しており,復旧工事が完了するまではさらに時間を要するのではないかと感じられました.土石流の起点となった造成地の責任問題が今も明らかになっていない現状では,防災対策の基本計画さえ明確にされていないのではないかと懸念材料は尽きません.

わが家に咲いたキダチアロエの花を見ながら,昨年の正月に伊豆下田の爪木崎を訪問した時のことを思い出しています(編集 2021.12.27.).

 暖かいところで育つはずのキダチアロエが寒い冬に花を付けるのはなぜなのか,わが家に今年咲いたキダチアロエの花を見ながら不思議に思っています.ネット検索してみますといくつかキダチアロエに関する新聞記事が見つかりました.それと共に,昨年,下田の爪木崎でキダチアロエの群生に出会ったのが偶然でなかったことを知りました.

東京新聞が連載した『熱海土石流はなぜ防げなかったのか <発生までの分岐点~公開文書から> ㊤,㊥,㊦ 』(更新 2021.11.10.).

 連載記事の冒頭の文章をここに転載させて頂きます.「静岡県熱海市伊豆山地区で土石流が発生し,3日で4ヵ月がたった. 26人が死亡し,今も1人が行方不明となっている災害は, 起点の盛り土が被害を甚大化させたとされ, 県警が強制捜査に乗り出している. なぜ盛り土は造成され, 被害を防げなかったのか. 県と市が公開した行政文書から, 土石流発生に至るまでの「分岐点」を検証する.」

東京新聞が連載中の<検証・東京五輪>をここに転載させて頂きます(更新 2021.10.13.).

 記事によれば「今夏の東京五輪・パラリンピックは,開催の是非を巡って国民の意見が割れた.コロナ禍であらためて浮き彫りになったIOCや開催都市,大会の問題点を5回にわたって検証する」とのことです.

2021年7月3日に発生した熱海伊豆山における土石流災害の現場を訪ねてきました(2021.8.25.編集).
その2
その3

 熱海伊豆山の土石流災害から2ヶ月近くが経過していますが,未だに犠牲者の捜索は完了しておらず,現場に立ち入るのは憚られる状況にあります.しかしその一方では,土砂の搬出作業の進展と共に被災現場の地形は日に日に変化していることが推察されます.
 そこで,現場作業の邪魔にならない範囲で,自然災害研究のための現地確認(とても現地調査と呼べるものではありません)をさせて頂くことにしました.現地確認の範囲は下の地形図に記入した場所(①~⑯)からの写真撮影によって,被災前,被災直後の状況との比較を行うことを目的としています.
 実際に現場を歩いてみますと,居住区域の被災地は長さ1km弱,幅100m程度の範囲内にほぼ収まっていて,確認作業には僅か2時間しか要しませんでした.しかし,以前に土石流被災地の斜面傾斜は地形図からわずか11~12°と見積もったのですが,実際に現地を歩いてみると起伏が多く,熱海駅から約1万歩の割には疲労度は半端ではありませんでした.後期高齢者には不向きな現場であることを付記しておきます.

2021年7月3日に発生した熱海伊豆山における土石流災害の関連資料を集めてみました(2021.7.4.編集).
その2
その3(2021.7.6.追記)
その4(2021.7.7.追記)
その5(2021.8.3.追記)

 今回の熱海伊豆山における土石流災害は近年でも稀にみる大規模なもので,今後の詳しい調査によって原因を解明する必要があるものと考えられます.被災地域はわが国でも屈指のリゾート地の一つであり,その地域開発のされ方が通常の居住地域と同じであるのかどうか,疑問がない訳ではありませんが,なによりも階段状に形成された急傾斜の地形上の宅地開発と云う点で,豪雨災害と地震災害の違いはあるものの,1978年宮城県沖地震の際の仙台緑が丘団地の被害のことがまず思い起こされた次第です.

高樹のぶ子著『小説伊勢物語 業平』を読ませていただきました(編集 2021.6.22.).

 高樹のぶ子氏の『100分de名著 伊勢物語』(NHK Eテレ,2020年11月)を視聴する機会があってから,これまで注目して来なかった伊勢物語のことが気になってきました.岩波文庫の中でも最も薄っぺらな古典(本文が僅か80ページほど)を450ページもの大作『小説伊勢物語 業平』に膨らませた高樹のぶ子氏の創作意図とは何だったのでしょうか.同氏によれば「古典との関わり方として,私は現代語訳ではなく小説化で人物を蘇らせたいと思ってきました.千年昔には身体感覚において,どこかが違う人間が生きていて,私たちは,現代にも通じる部分においてのみ,かの時代の人間を理解しているのではないか.この疑問は,書くことに矛盾をもたらし,文体を模索させました.平安の雅を可能なかぎり取り込み,歌を小説の中に据えていくために編み出したのが,この文体です.味わい読んでいただければ,在原業平という男の色香や,日本の美が確立した時代の風が,御身に染みこんでいくものと信じます.(小説伊勢物語 あとがきより)」とのことで,とにかく『伊勢物語(岩波文庫と角川ソフィア文庫)』を傍らに置きながら『小説伊勢物語 業平』を読ませていただきました.

    

昨日は雲仙・普賢岳噴火災害から30年ということで関連資料を集めてみました(2021.6.4.編集).
その2
追記:新聞記事より

 1991年の雲仙・普賢岳の噴火災害(実際にはその前年末から3年間も続いた)はその当時,大変ショッキングな大事件でした.火砕流という火山災害の形態が存在することはその時に初めて知らされました.現地調査をと思いつつもなかなか機会に恵まれず,やっと当地を訪問できたのは災害から7年後のことでした.

翁草と行者ニンニクの観察日記(編集 2021.5.20.).

 深大寺(神代植物公園)の花屋さんで購入した二つの草花の鉢を身近かに置いて,毎日眺めていました.その成長の過程はとてもユニークで興味深いものでした.

    

東京新聞の連載記事『五輪リスク』をここに転載させて頂きます(最終更新 2021.5.8.).

 東京新聞で新たに『五輪リスク』と題する連載が始まりました.第一回は「コロナ拡大」がテーマで,『東京五輪が社会のリスクに 今も続く医師, 看護師の大量派遣依頼, 現場は「不可能だ」』,『観光地もレストランもジムもダメ…東京五輪の選手に禁止だらけ「おもてなし」はどこへ』の二つの記事から構成されています.その後も続々と…

帚木蓬生著『水神』を読ませていただき,関連の情報を整理してみました(編集 2021.2.3.).
追記:新聞記事より(編集 2021.12.6.)

 「農民を水不足による飢饉から救うため, 江戸時代の5人の庄屋が筑後川からの水路を開いた「五庄屋」の伝説. 筑後地区では広く知られる物語を, 農民生活の細かな描写とともに描いたのが帚木蓬生さんの「水神」(2009年)だ. 久留米藩の財政も潤す公共工事でありながら, 事業費はすべて五庄屋の手出し. あまつさえ工事が失敗したら, 藩の面目をつぶしたかどではりつけにして殺すというのだから. 江南原(えなみばる,現在のうきは市吉井町江南地区)は大河のそばにありながら, 台地のため水不足にあえいだ. (途中略) 筑後川からの取水口を築いた大石(同市浮羽町)から江南原までの総延長は13.3km. 1664(寛文4)年のこの第1期工事は1日当たり500人, 延べ4万人の手で着工からわずか60日で完成した.」以上は2018年の西日本新聞記事からの抜き書きですが,一度,その難工事の現場を訪ねてみたいと思っています.そのこともあって,読後に地形図で現場を確認してみた次第です.そしてなんとその現場は,2017年に現地調査に訪れた九州北部水害の被災地のすぐ近く(筑後川の対岸)にありました.
 2017年九州北部水害の調査メモは本サイトにも掲載していますのでご参照ください.

    

東京新聞の連載記事<新型コロナ法改正ここが論点>を転載させて頂きます(編集 2021.1.29.現在).

米国バイデン新大統領の就任演説全文を東京新聞から転載させて頂きました(2021.1.21.編集).

 米国バイデン新大統領の就任演説全文を読ませて頂き,トランプ前大統領の『アメリカ第一主義』との違いの大きさに驚くと同時に,菅首相の所信表明演説のお粗末さについても改めて感じずにはいられませんでした.トランプ氏や菅氏から,バイデン氏の次のようなフレーズを一度で良いから聴いてみたかったと心底から思います.『私は誓います。すべてのアメリカ国民のための大統領になることを。私を支持しなかった人のためにも、私を支持してくれた人のためにするのと同じように、一生懸命闘います。』

西日本新聞が9月に発生した台風10号について興味深いアンケート調査を行っていました(2020.12.13.編集).

 以下に西日本新聞の記事を引用させて頂きます.「日本への接近・上陸が心配されるような台風の発生も,ようやく一段落した.振り返れば, 九州に最も影響を及ぼしたのは9月6~7日に最接近した10号だった. そこで, 本紙「あなたの特命取材班」フォロワー(通信員)の協力を得て, 当時の避難準備などの行動についてアンケートを行った. 多くが, 台風がまだ遠い南の海上を移動している段階で準備を始めたことなどが分かった. アンケートは, 10号最接近から1ヵ月が過ぎた10月16~19日,インターネット上で実施. 回答を寄せた人は, 40~50代を中心に10代から80歳以上を含む九州7県を中心とする1416人. 8割は福岡県内の在住者だった.」

いくつかの図書から前方後円墳に関する記述を集めてみました.そもそもの疑問は,前方後円墳の由来と「前方後円墳」という名称の由来を知りたいと云うことでした(2020.11.17.編集).

 『前方後円墳』とは考えてみれば奇妙な名称である. 文字通りに解釈すれば, 前が方形で後が円形の古墳と言うことになる. 一体誰がこのような名を付けたのであろうか. わが国の古典には「陵」,「山陵」,『延喜式』では「山陵」,「墓」などと呼ばれていて, 前方後円の特殊な古墳の形を表現する字句は出てこない. むしろ民間で呼ばれてきた茶臼山, ひょうたん山, 鑵子(かんす=湯を沸かす釜)塚, 二子山, 銚子塚, 車塚などの方が, その形の特色をよく捉えている. 茶臼は茶を挽くのに用いた臼であるが, その形がいかにも古式の前方後円墳を思わせる. またひょうたん山と言う名も, ひょうたんを横にして半ば地に埋めた形を想像すれば, これもまた中・後期の前方部と後円部の境のくびれ部の明確な前方後円墳の姿に近い. 私たちの先祖は, 身近な品物になぞらえて即物的にうまい名をつけたものである.
 『前方後円墳』というしかつめらしい名は, 明治以降に考古学が学問的体系をもつようになってからのものである. その背景には, 江戸時代の書物『山稜志』が大きな役割を果たしている. この書物は蒲生君平が著したもので, そのなかで次のように述べている. 上古の御陵は宮車の形をまねて前方後円とし, 三段の壇を作り, 周囲に濠をめぐらしている. また造出しにも着目し, これを車の両輪に見立てた. 宮車をかたどったという点はともかくとして, これほど前方後円墳の特長をよく把握した文献はこれ以前にはない. 明治以降のわが国の考古学者も, この形式の古墳の命名には困り果て, 君平の前方後円の墳の字を添えて襲用したのである.(上田宏範著『前方後円墳』より)

米国大統領選に勝利したバイデン氏とハリス氏の演説内容を転載させて頂きます(2020.11.9.編集 11.10.追記).

 波乱の米国大統領選でしたが,わが国とのあまりの違いに驚いています.まずは大いに感動させられたハリス氏の演説全文とバイデン氏の演説詳報を東京新聞から転載させて頂きます.ハリス氏の「私が初の女性副大統領になるかもしれませんが,最後ではありません」やバイデン氏の「アメリカは赤い州も青い州もなく,合衆国なのだ」との発言が心に響きました.菅首相にも,就任と同時に,このような演説をして欲しかったと,つくづく思いました.それにしても敗北を認めようとしないトランプ氏には往生際の悪さを感じていますが,それもまたアメリカの一方の姿なのかもしれません.

10月13日付け東京新聞に昨年の台風19号における『荒川氾濫回避の記録』と題する大きな特集記事が掲載されていました(2020.10.13.編集).
追加資料:10月14日付け東京新聞の『洪水は遅れてやってくる』(2020.10.14.編集).

 記録的な豪雨を伴った昨年10月の台風19号では各地の河川が氾濫を起こしましたが,東京を流れる荒川も歴史に残る大増水で,氾濫寸前の水位にまで達したそうです.流域の住民が避難する中,水門やダム,調節池といった治水設備がフル稼働,満潮のタイミングがずれる幸運にも救われ,ギリギリのところで大規模浸水を免れたとのことです.

福岡帰郷の折に蒙古襲来に関わる遺跡を訪ねてきました(2020.9.27.編集).
その2
その3
その4
補足資料1(元寇史料館に基づく元軍侵略図)
補足資料2(伴野朗著『元寇』の概要)
補足資料3(服部英雄著『蒙古襲来と神風』の概要1)
補足資料4(服部英雄著『蒙古襲来と神風』の概要2)
補足資料5(服部英雄著『蒙古襲来と神風』の概要3)
補足資料6(蒙古襲来(元寇)に関する文献の追記,2022.1.15.編集)

 最近,伴野朗著『元寇』(講談社文庫)を読む機会があって,日本歴史としてではなく,当時のモンゴル帝国の立場から見た元寇と云うものを多少は知ることができました.果たして当時の鎌倉幕府に,近隣外交のための素養と云うものがいったいどの程度あったのでしょうか.甚だ疑問に感じるようになりました.もしかしたらこれは,わが国の現在に至る外交音痴の原点かもしれないとの考えが頭を掠め,思わずゾッとしました.そして福岡への帰郷に合わせて,福岡市東部の東公園・筥崎宮と西部のいくつかの元寇防塁遺跡を訪ねてきました.

外山善雄氏の『ジャズ その素晴らしき世界』に感動しました(2020.9.8.編集).

 9月7日付け東京新聞「生きる」で,偶々,トランペット奏者・外山善雄氏の『ジャズ その素晴らしき世界(上)』が目に止まりました.敬愛するルイ・アームストロングを求めて,ニューオーリンズにジャズ武者修行に出掛けた同氏ならではのジャズ談義に感動を覚えました.とりわけ文中に登場する「ジャズ葬式」の風習は印象的で,映画『五つの銅貨』におけるレッド・ニコルスとルイ・アームストロングの出会いの場面などを懐かしく思い出しています.

東京新聞も『一強の果てに 安倍政権の7年8ヵ月』と題する緊急連載を行っていました(2020.9.7.編集).
その2

 東京新聞も『一強の果てに 安倍政権の7年8ヵ月』と題して安倍政権7年8ヶ月のレビューを行っていましたので,ここに転載させて頂きたく存じます.自民党の後継政権がこの安倍路線をどのように継承してゆくのを見守ってゆく上で,大変貴重な資料になるものと思われます.
 本サイト「備忘録ないしは切り抜き帳」の中にも,東京新聞の安倍政権7年8ヶ月のレビュー記事を転載させて頂いています.

朝日新聞デジタルが5回連載で安倍政権の丁寧なレビューを行っていました(2020.9.3.編集).
その2

 朝日新聞デジタルが5回連載で,安倍政権7年8ヶ月のレビューを行っていましたので,ここに転載させて頂きたく存じます.自民党の後継政権がこの安倍路線をどのように継承してゆくのを見守ってゆく上でも,大変貴重な資料になるものと思われます.
 本サイト「備忘録ないしは切り抜き帳」の中には,東京新聞が同様に安倍政権7年8ヶ月のレビュー記事を転載させて頂いていますのでご参照ください.

偶然にも神田の古書店で柳川喜郎著『桜島噴火記』に出会いました(2020.8.23.編集).

 先日,偶然にも神田の古書店で柳川喜郎著『桜島噴火記』に出会いました.同書は昭和59(1984)年の出版とのことで,今から36年も昔になりますが,以前(2001年)に桜島を訪問した当時のことが思い出されて,一気に読ませていただきました.

わが国の熊本豪雨災害と併せて中国では揚子江流域の洪水や三峡ダム崩壊危機のニュースが注目されています(2020.8.21.編集).
その後の追記(2020.8.24.編集)
さらなる追記(2020.10.8.編集)

 最近のヤフーニュースを見ていますと,中国揚子江の水量増加が流域各地で洪水を起こしているニュースや,三峡ダムが許容水量を超えて崩壊の危険があるとのニュースが散見されます.わが国でも熊本はじめ大分,岐阜,山形で豪雨災害を発生させた大規模な異常気象が影響しているようですが,なにしろわが国とはスケールが違います.いったい何が本当で,何がデマなのかだけでも,明らかにして欲しいものです.ようやく『Newsweek 2020年10月13日号』で真実の姿が見えてきたようです.

地元紙,熊本日日新聞に頼りながら7月の熊本豪雨災害を振り返ってみました(2020.7.24.編集).
その後の追記(2020.8.12.編集)

 急流で知られる球磨川がこれまでにない酷い豪雨災害を受けました.これまでと何が違ったのでしょうか? やはり原因は誘因としての半端でない降水量によるものと思いますが,素因としての球磨川の水系分布や人吉盆地という流域の地形条件も大いに関係していると考えられます.
 本サイト「備忘録ないしは切り抜き帳」の中にも関連記事がありますのでご参照ください.

NHK Newswebが6月23日に配信した『ボルトン氏回顧録』の内容を転載させて頂きました(2020.6.24.編集).

 NHK Newsweb が配信したところによれば,トランプ大統領の元側近,ボルトン前大統領補佐官は,日本時間の23日,みずからの回顧録「それが起きた部屋」を出版したそうです.この中でボルトン氏は,去年7月に日本を訪問した際,在日アメリカ軍の駐留経費の日本側の負担を大幅に増やし,年間80億ドルを要求するトランプ大統領の意向を伝えているそうです.80億ドルは日本側が現在支払っている額の4倍余りで,日本政府はこうした金額が提示されたことをこれまで否定していますが,ボルトン氏は提示したと主張しています.またボルトン氏は,韓国に対しても韓国側の負担を現在の5倍にあたる50億ドルへ引き上げるよう求めるトランプ大統領の意向を伝えたとしており,ボルトン氏によれば,トランプ大統領が「日本から年間80億ドル,韓国から50億ドルを得る方法は,すべてのアメリカ軍を撤退させると脅すことだ.交渉上,とても有利な立場になる」と発言し,アメリカ軍の撤退も示唆して交渉するよう指示を受けたとのことです.これらの内容が本当であれば,わが国にとっては聞き捨てならない話ですし,トランプ大統領なら本当にやりかねないと思われるだけに不気味なことです.

新型コロナウイルスについてのメルケル首相の演説に感動しました(2020.4.2.編集).

 3月18日に行われた『新型コロナウイルスについてのメルケル首相の演説』全文がネットに掲載されていました.翻訳者に感謝しつつ,ここに転載させて頂きます.

たまたま西日本新聞の福岡版に『復興と人口減少 見つめ直す玄界島の「いま」 福岡沖地震15年』という記事を見つけました(2020.3.26.編集).

 2005年3月20日に発生した福岡沖地震で,震源に最も近かった玄界島は地盤崩壊のために大きな被害を受けました.その日のうちに全島民は島から脱出し,一時避難の後は島と陸側と半々に分かれての仮設住宅での生活が続きました.ちょうど3年というのは被災者にとって決して短い期間ではなかったでしょうが,それでも比較的短期間で復興できたのは,全島民の団結力があったからと聞いています.

城山湖を訪ねて昨年の台風19号のことを思い出しました(2020.3.21.編集).
その2

 先日『城山カタクリの里』を訪れた際に,すぐ近くの城山湖にも立ち寄ってみました.カタクリの花はすでに開花の時期を迎えていましたが,さすがにサクラの開花までにはまだ時間がありそうでした.展望台に設置されていた案内板を見ていて,これまでとんだ思い違いをしていたことに気が付きました.昨年の台風19号の際に,城山ダムを緊急放流するタイミングについて混乱があったことについての当時の新聞報道も一緒に転載させて頂きますが,その当時,筆者は城山ダムは当然,城山湖にあるものと錯覚していました.案内板を見て愕然としたのは,城山湖にあったのは本沢ダムで,城山ダムは津久井湖に存在していたことでした.

新型コロナウイルスの感染騒動の中で数年前のSTAP細胞事件のことを思い出しました(2020.3.6.編集).
STAP細胞事件に関する追加の情報(2021.2.9.編集)

 連日,新型コロナウイルス感染のニュースばかりですが,同種の生命科学分野の問題として,小保方晴子氏のSTAP細胞事件のことを思い出し,当時の文献などを収集,整理してみました.小保方氏の著書『あの日』を読ませて頂くまで,STAP細胞発表から間もないNHKスペシャルや須田桃子著『捏造の科学者』の内容を真に受けていたのですが…

東大総合研究博物館小石川分館で開催中の『貝の建築学』特別展を見てきました(2020.1.24.編集).
その2

 たまたま東京新聞が報じていた『貝の建築学』の記事を見て,さっそく特別展を見てきました.建築には以前からシェル構造という構造様式がありますが,今回の特別展で貝殻(特に巻き貝)の構造と建築構造との類似点を感じることができました.とりわけ,貝殻をスライスしてその断面を見るという斬新な発想によって,貝殻と建築構造の類似性が一層強調されることには本当に感動しました.
 そのついでと言ってはなんですが,同じ敷地内にある小石川植物園にも立ち寄ってきました.冬の植物園はなんとなく淋しいものですが,カンザクラの古木が満開で,ツバキやサザンカも見事でした.ウメは開花までもう少し.関東大震災の時にこの植物園が避難所になり,小石川養生所時代の井戸が飲料水として大活躍したとの話は,かねてから注目していたところですが,今回ここにアップさせて頂きました.

年明けに伊豆半島を一周してきました(2020.1.13.編集).
その2

 昨年の南房総に続いて,今年は伊豆半島を一周してきました.行程は余り欲張らずに,目的地を大室山,爪木崎,石廊崎,松崎の長八美術館,堂ヶ島の島めぐりに絞りました.爪木崎と長八美術館は二度目でしたが,それ以外は初めての訪問でした.お正月明けということで,道路もホテルも観光地も空いていて助かりました.天候にも恵まれとても暖かで,以前12月に南国奄美大島に行った時のことを思い出しました.

年末の12月30日に雨の大阪城を歩いてきました(2020.1.6.編集).
その2
その3(2021.7.6.追記)

 関西に用事があって,そのついでにこれまで訪れたことがなかった大阪城を歩いてみることにしました.早朝の雨の中にも拘わらずツアー客が多いのに驚きましたが,そのほとんどは賑やかな中国語でした.天守閣の博物館は年末の閉鎖で見学できませんでしたので,その周辺を歩いてみるだけでしたが,一番感動したのは石垣の見事さでした.大手口枡形や桜門枡形の石垣に巨石を多用していたのは,小豆島や岡山など花崗岩の産地に恵まれていたからのようです.以前に訪問した江戸城東御苑の石垣も見事でしたが,今回の大阪城の石垣も充分に堪能させていただきました.
 ついでながら,大阪城が立地する上町台地と上町断層についても,少しだけ学ばせていただきました.上町台地が存在していると云うことは,上町断層に起因する逆断層型の地震が周期的に発生しているからであって,上町台地は今後とも隆起を続けることになりそうです.M7級の地震の再来周期は凡そ8000年とのことで次の地震を予知することは叶いませんが,地震が発生した場合の被害想定はすでに行われていて,想定震源の近くでは震度7の地域も現れるようです.東京首都直下地震と同様に心配なことです.

たまたま神戸に滞在している時に,阪神大震災に関係する2つの情報に出会いました(2019.12.21.編集).

 ひとつは神戸三宮のホテルで朝のニュースを見ていて,神戸大学で興味深い震災展を開催していることを知りました.25年前の阪神・淡路大震災のことを知らないであろう神戸大学の学生諸氏のために神戸大学が震災展を用意しているというもので,早速,神戸大学に出掛けて見学させて頂きました.震災展の展示内容にはさほど目新しいものは見当たりませんでしたが,当時のことを知る由もない若い学生諸氏を対象にしているのであれば大変有意義なことと思いました.また,同じキャンパス内のすぐ近くに建立されている神戸大学の震災犠牲者41人のための慰霊碑にも立ち寄ってきました.
 もうひとつは,神戸市役所の辺りを歩いていて,市民向けに『避難訓練コンサート』への参加を呼び掛けるポスターに注目しました.後で調べてみると,同種の催しはすでに各地でも試みられていて,そもそものきっかけは東日本大震災だったようです.コンサートの最中に火災や地震・津波の危険が迫ったときにどのような行動が取れるのか,甚だ興味深いことですので,機会があれば是非とも参加させて頂きたいと思った次第です.[追記] 本サイトの『備忘録ないしは切り抜き帳(その122)』の中に関連の記事があります.

台風19号の被害の様子を新聞記事から収録しました(2019.11.16.編集).
多摩川周辺の被害状況を折あるごとに確認してきました(2019.10.23.~11.24.).
その2
その3
その4
『アミガサ事件』と有吉堤の記事を追加しました(2020.9.10.編集).

 台風19号が過ぎ去った13日朝,1974年の多摩川決壊のことを思い出して現場を確認しに行きましたが,そこにあるはずの多摩川決壊の碑は基礎だけになっていました.15日には平瀬川河口と二子多摩川駅周辺,および武蔵小杉駅周辺を歩いてみました.
 その後も気掛かりで,折あるごとに多摩川沿いを歩いておりました.本サイト「備忘録ないしは切り抜き帳」の中にも関連記事がありますのでご参照ください.

日本建築学会北陸大会の機会に,金沢市内を歩いてきました(2019.9.11.編集).
その2

 日本建築学会北陸大会が16年ぶりに金沢(会場は野々市の金沢工大)で開催されることになり,学会発表を準備して参加しました.そしてその前後には,金沢城,兼六園はじめ金沢市内の気になっていた地域を,心ゆくまで散策してきました.
 [その2]に掲載させて頂いた尾山神社境内の『お松の方とシャクヤク』について補足させていただきますと,江戸城で淋しい日々を過ごしたお松の方はシャクヤクを愛でることを慰みとされていたそうで,お松の方が金沢に持ち帰ったシャクヤクは金沢大学薬用植物園の薬用シャクヤクに引き継がれているとのことです.

11年前に水難事故があった神戸市灘区の都賀川を歩いてきました(2019.7.20.編集).
その2

 2008年の都賀川水難事故は,100年に一度の大雨に起因した豪雨災害であると言われてきました.その後,都賀川には電光掲示板,回転灯,緊急避難用梯,門扉の設置などの対策が取られはしましたが,親水公園としての機能は以前のままに残されています.川べりでは,事故以前と変わらずイベントが開催され,休日には多くの人が散歩をしたりバーベキューをしたりして楽しんでいます.都賀川は本当に安全な川になったのでしょうか?

谷川岳~水上高原~宝川温泉を歩いてきました(2019.7.18.編集).

 大学同期の記念行事(少し早目の喜寿の祝い)が水上高原で開催されることになり,ついでに谷川岳と宝川温泉にも足を延ばしてきました.谷川岳では尾根歩きはせずに,一ノ倉岳と一ノ倉沢を一望できる一ノ倉沢出合からの眺望を楽しみたいと思い,殆ど起伏のないコースを選びました.
 今回は新幹線は一切利用せず在来線を乗り継いで土合駅まで行きましたが,車中で埼玉の中学生の一群と一緒になり,最後の一ノ倉沢出合まで同じコースを歩くことになりました.土合駅の下りホームはとんでもない地下駅で,地上に出るまで標高差約70メートル(462段の階段)のトンネル内登山を初体験しました.

秋の日本建築学会北陸大会に向けて発表資料を準備しているところです(2019.6.29.編集).
その2

 昨日の6月28日は福井地震から71年目の記念日に当たります.今年の日本建築学会年次大会は金沢で開催されますので,今まで温めておいた福井地震に関する調査結果『福井地震(1948年)に遭遇した大和百貨店の従業員はいかに行動したか?』を発表しようと考えています.この調査は大和デパート金沢本店のお力添えがあって初めて実現したものですので,金沢での研究発表に意義を感じています.

新潟地震(1964)の時の津波資料を収集してみました(2019.6.24.編集).
その2 地元紙新潟日報の津波情報
その3 地震研究所の津波調査
その4
その5 日本建築学会調査報告書
その6 新潟県による新潟地震の記録
その7
その8
その9
その10 土木学会調査報告書
その11
その12 2つの地震に関係する地図

 今回の新潟・山形県境の地震について,津波に対する情報伝達がうまく機能したのかどうか,また,それを受けた避難行動が適切に行われたのかどうか,これから調査結果に基づく検証が必要になるものと思われます.参考になるかどうかは判りませんが,比較のために新潟地震(1964)の時の津波資料を収集してみました.今回の地震時の避難行動に,55年前の津波被害の経験がどの程度影響しているのか,甚だ興味深いことではないでしょうか.
 本サイト「備忘録ないしは切り抜き帳」の中にも関連記事がありますのでご参照ください.

彦根城の中を散策してきました(2019.6.4.編集).

 先日,関西方面へのドライブの帰路,彦根城に立ち寄りました.平成の大改修後の美しい姿を一度も見ていなかったので,以前から楽しみにしておりました.ところが,天守には足場が組まれていて,美しいしっくい壁を堪能することは叶いませんでした.伺いましたら,昨年の台風21号によって,しっくい壁の剥離や倒木などの被害が発生して,修復工事に取り掛かったところだそうです.確かに昨年の台風21号では甚大な被害が発生していたことを思い出し,大変申し訳ない気持ちになりました.

兵庫県南部地震(1995)で大規模地すべりを起こした西宮市仁川百合野町を歩いてきました(2019.5.28.編集).
その2

 つい先日,釜井俊孝氏の著書『宅地崩壊 なぜ都市で土砂災害が起こるのか(NHK出版新書,2019)』を読ませて頂き,その中の地すべり災害の写真に触発されて,現場を一度訪ねてみたいと思いました.すぐ近くの山陽新幹線高架橋の被災現場は兵庫県南部地震の直後に訪問していましたが,その時はその足で神戸方面に向かったために,この地すべり現場を訪ねることはできませんでした.今回,24年後の訪問となりました.

以前(2009年)に建築歴史調査の一環でシリアを訪問した時の写真をもう一度整理してみました(2019.1.17.編集).
その2
その3
その4
その5

 以前にもこのサイトで,東工大篠野研究室が行っておられた歴史遺産としての教会建築の調査に便乗して,東トルコ・アルメニア・シリアを訪問させて頂いたことに触れさせて頂きました.その後,シリアでは内戦が激化して,大変気の毒な状態になってしまいました.
 最近になって,仙台で開催された日本建築学会大会の中で,フォトジャーナリスト・安田菜津紀氏のシリアについての講演を拝聴する機会があり,また最近,小山茂樹著『シリアとレバノン(東洋経済新報社,1996)』に刺激を受けたこともありまして,2009年当時の写真をもう一度整理してみました.

年明けに南房総の鋸山-館山-安房白浜を歩いてきました(2019.1.11.編集).

 南房総は地質の宝庫.それに名刹が加われば云うことはありません.歩いてみて判ったことですが,この地の重要なキーワードは行基菩薩と関東大震災でした.

西日本豪雨災害の最大の被災地である倉敷市真備地区を訪問してきました(2018.12.10.編集).
その2
その3
その4(追記:10年前の神戸市都賀川水難事故について)

 7月の西日本豪雨被害で最も注目されたのは倉敷市真備町の水深5mにも及ぶ大水害でした.被災地ではいったい何が起こったのか.自分自身の目で確かめたくて現地を訪問しました.最近は新聞やテレビなどの報道機関のほかネット情報も容易に入手できますので「何もわざわざ現地に行かなくても」と思いがちになります.地震災害ですと強震データも比較的簡単に入手できますし,被害状況もグーグルマップを用いて被災前の状況と比較することも可能です.
 しかし本当にこれで良いのかと,時々自分自身を戒めているのですが,8年前の停年退職の時に密かに心に誓いましたのは,今後とも体が許す限り,地べたに密着した現地調査を心がけると云うことでした.今回,何とかそれが実行できて安堵しているのですが,今後の防災対策のお役に立たなければ意味がありませんので,本当に頑張らなければならないのはこれからなのですが.

活断層見学ツアーと称して丹那断層/神縄断層/国府津-松田断層を巡ってきました(2018.11.20.編集).
その2
その3
その4
その5
その6
その7

 日本免震構造協会入力地震動小委員会では,調査研究活動の一環としてのみならず親睦の意味も込めて,各地に残されている地震遺跡(活断層や地震被害の遺跡)を年に1回のペースで探訪し,フィールドワークによる研鑽を積む努力を重ねてきました.ここに掲載させて頂いた2004年の『活断層見学会 丹那断層/神縄断層/国府津-松田断層』はその第1回目の試みで,その後も千葉県の『安房鴨川断層帯+鋸山』, 栃木県の『今市地震の痕跡/大谷石採石場跡と崩落現場跡/関谷断層と集落・街道の移転跡』,岐阜県の『濃尾地震の根尾谷・水鳥断層』,『2008年岩手/宮城内陸地震被害状況の視察』,『2011年東日本大震災の津波被災地の視察』などを実施してきました.
 最初の試みからすでに10数年が経過, 委員会のメンバーも何度か入れ替わったりしているので,今回, 上記の入力地震動小委員会OB会として,最初の『丹那断層/神縄断層/国府津-松田断層』に立ち戻ることにしました.前回の視察からずいぶん年月が経過しているため, 再訪者にとっても新たな疑問や発見があって,今回の視察は決して無駄ではなかったのではないかと思っています.
 今回の視察の中で,最も注目すべきは1930年北伊豆地震に伴う丹那断層ですが,丹那トンネルの掘削中に地震に遭遇し,トンネル内に閉じ込められたり, 断層鏡面を目撃した当時の人々に思いを馳せることができたのも, 現地ならではの経験だったからではないでしょうか.断層の発掘調査からは, 1回につき約2mの横ずれが8000年間に9回発生しているそうで, 地震の再来周期は700~1000年になります.一方, 地形調査からは, 横ずれの累積変位は1kmで辻褄が合う(東西の地形が繋がる)とのことですから,1000年に1度, 2mの横ずれを起こすとして, その累積変位が1kmに達するには500回の地震が必要で, そのための時間は50万年を要すると云う,何とも雄大な話になります.

先日,本郷・湯島界隈を歩いていて,魅力的な著作に出会いました(2018.11.11.編集).

 たまたま足を止めたのは文京区湯島2丁目の大谷大学真宗総合研究所東京分室というところでした.道路に面した掲示板に掲載されていた『イスタンブル・聖ソフィアでの祈り(林佳世子:anjali,No.35,June 2018)』なる著述に惹かれ,冊子を購入して読ませていただきました.気になりましたのは,イスタンブールの名所であるアヤソフィア寺院の数奇な運命ということもありましたが,それ以上に冒頭の,アルメニア教会で礼拝するイスラム教信者の老婆が発した「神は同じだから」との言葉に著者が驚いた体験や,「イスラム教徒にとって,キリスト教の信仰の場は不浄でも不吉でもない」,「イスタンブルの人口の半数がキリスト教徒である状況は20世紀まで変わらなかった」と言った記述の内容でした.立ち読みでは大変申し訳ないので,じっくり読ませて頂こうと思った次第です.

9月6日に発生した北海道胆振東部地震についての資料を整理してみました(2018.9.14.編集).
その2(2018.10.7.追記)

 仙台市で開催された日本建築学会の年次大会に参加していた最中に,台風21号が関西地域を襲い,続いて北海道の地震が発生すると云う大事件がありました.まだ何も調査した訳ではありませんが,取り敢えず北海道の地震災害について,何が問題なのかを知るために,資料の収集・整理を始めました.
 関連資料が東日本大震災以後の備忘録ないしは切り抜き帳(その88,2018.8.31.~)の中にもあります.

西日本新聞の連載記事『浦上の姉さん』を転載させて頂きました(2018.8.5.編集).
その2
その3
その4(2018.8.12.追記)
その5(2018.8.26.追記)

 もうすぐ広島と長崎の原爆記念日がやって来ます.広島原爆については,つい最近にも石井光太著『原爆 広島を復興させた人びと』が刊行されたりして,比較的資料も豊富ですが,長崎原爆についてはまだまだ不明の点が多く残されているように思われます.
 先日,福岡に帰郷した折に,地元紙西日本新聞に連載されていたキリシタン迫害の中で生きた岩永マキの生涯『浦上の姉さん』の存在を知りました.長崎原爆以前の話ですが,昨年の8月9日に本サイトの備忘録で紹介させて頂いた『原爆と沈黙~長崎浦上地区の受難~(8月12日 Eテレ)』へと繋がる話であることは間違いありません.連載記事を書いた西日本新聞文化部の藤原賢吾氏は義理の息子に当たりますので,私事ながら大変誇りに思っているところですが,同氏によりますと,取材に費やした苦労は並大抵ではなかったようです.
 関連資料が東日本大震災以後の備忘録ないしは切り抜き帳(その86,2018.8.9.)の中にもあります.

熊本城が今どうなっているかを確認するため4度目の熊本訪問を実行してきました(2018.7.18.編集).

 修復工事が進行中の熊本城が今現在どのような状況にあるのか.それを確認するためには時々現地を訪問して,自分の目で確認するしかありません.幸いリタイア組には充分な時間があってそれが可能なのですが,大敵は想定外の熱中症でした.

2018年6月18日に発生した大阪府北部の地震(M6.1, 最大震度6弱)の被災地を歩いてきました(2018.7.18.編集).
その2

 大阪北部地震で被災した京都府大山崎地区,大阪府高槻市と茨木市の一部地域を歩いてみました.総じて,今回の大阪北部地震の被害は,短周期地震動によるものであったことが確認できました.住家における屋根の主として棟瓦の被害,ブロック塀の倒壊,壁の剥離,灯篭や二宮尊徳像の落下も含めて,それらの全てが短周期地震動の仕業であることに間違いはないものと理解しました.
 本サイト「東日本大震災以後の備忘録ないしは切り抜き帳」に関連記事がありますのでご参照ください.

西日本豪雨災害に関する資料を2つの地域に絞って集めてみました(2018.7.12.編集).
その2

 毎日刻々と報道されている西日本豪雨災害の中から,岡山県倉敷市真備町と広島県安芸郡府中町と云う2つの地域の,互いに性格の異なる豪雨災害に注目してみました.未だ現場を見ていないので,結論を下すことは早計でしょうが,それでも気になった幾つかの点を書き留めておきたいと思います.
 岡山県倉敷市真備町の広域水害について:最初に注目したのは,報道写真の水没した住宅群が平屋建てなのか二階建てなのかと云った些細な点でしたが,グーグルマップで現地を探し当て,それらが二階建てのモダンな住宅街と判明した段階で,新たなショックを受けました.すでに倉敷市によって洪水ハザードマップが準備されていたのは大変良いことですが,今回の被害分布がすでに公表されているハザードマップと殆ど一致していたことが強く印象に残りました.もしかすると,東京下町の荒川・隅田川周辺で想定されている洪水ハザードマップも,相当な現実味を帯びており,軽く見てはならないのではないでしょうか.
 広島県安芸郡府中町に突然襲来した土石流について:府中みくまり病院による防犯カメラの映像が何よりも印象的でした.災害の結果だけでなく,災害の瞬間の映像を目にする機会が増えたことは,災害の原因究明にとって大いに有益であろうと思われます.それは,地震動災害の理解のために地震記象が有用であるのと同じことかも知れません.
 最後に,今回の豪雨災害の犠牲者に心からご冥福をお祈りし,被災された方々には,一日も早く以前の生活に戻れますよう,お祈り申し上げております.
 本サイト「東日本大震災以後の備忘録ないしは切り抜き帳」に関連記事がありますのでご参照ください.

今日は福井地震から70年目の記念日.福井地震に関するこれまでの調査資料を集めてみました(2018.6.28.編集).
その2
その3
その4

 6月28日は70年前に福井地震があった日です.その当時のことなどもちろん記憶にありませんが,地震工学の大先輩の先生方から幾度となく当時の話を聞かされ,それらの話を理解するために,地震調査報告書は勿論のこと,当時の地元紙も丹念に調べ,福井の県立・市立図書館へ何度も通い,何人かの方々に貴重な体験談を伺ったことを思い出します.お蔭で福井地震には相当詳しくなったと自負していたのですが,定年退職の間際になって,福井地震で被災した大和デパートについて,とんでもない間違いを犯していたことに気が付きました.そして地震から60年も経ってから,手遅れとも思える現地の聞き取り調査を密かに実行しました.その調査結果は辛うじて退職時の最終講義に間に合いました.
 本サイト「東日本大震災以後の備忘録ないしは切り抜き帳」に関連記事がありますのでご参照ください.

2018年6月18日に発生した大阪府北部の地震(M6.1, 最大震度6弱)に関する資料を集めてみました(2018.6.21.編集).
その2

 6月18日の朝8時ごろ,大阪府北部で最大震度6弱の地震が発生しました.地震の規模はM6.1, 震源深さは約13kmと推定されているそうですが,詳しいことはまだ判っていません.当日の東京新聞夕刊には『あまり発生ない場所』と題する気象庁のコメントが掲載されていましたが, 周囲を断層帯で囲まれた地域で発生したことから大変気になっております.地震規模の割に被害が大きい理由の第一は,周囲を硬い岩盤で取り囲まれた大阪平野(本当は大阪盆地というべきでしょうが)の地形地質にあるものと考えられます.すなわち,大阪盆地端部の,なおかつ淀川沿いの低地に位置する高槻・茨木・枚方で地震動が強く現れたのは,被災者の方々には本当に気の毒ですが,宿命としか言いようがありません.1995年の兵庫県南部地震の後,上町断層の存在なども注目され,大阪地域の地震対策を強化しようとの動きがあっただけに,地元の行政におかれては,今回の地震災害を深刻に受け止めて戴きたいものです.
 本サイト「東日本大震災以後の備忘録ないしは切り抜き帳」に関連記事がありますのでご参照ください.

東京新聞の『<東京の城景> 八王子城 戦国時代の幕引き』に惹かれて(2018.5.9.編集).

 先日5月5日付けの東京新聞に掲載されていた『<東京の城景> 八王子城 戦国時代の幕引き』を興味深く拝見しました.昨年の秋に偶々,高校の同期会で当地を訪ねたばかりでしたので,新聞記事を記憶に留めておきたいと思い,ここに転載させて頂きました.

昭和の森での同期会ゴルフでお世話になっている昭島市の気になる資料を集めてみました(2018.5.3.編集).
その2(玉川上水についての補足 2018.5.28.追記)
その3(アキシマクジラについての補足 2018.10.26.追記)

 昭島市の昭和の森ゴルフコースで毎年,春と秋に開催される高校同期のゴルフ会に参加させて頂いているのですが,早朝に到着して近くの玉川上水を散策している時に,偶然にもマンホールに描かれているクジラを見て,大変不思議に思いました.なぜ内陸の昭島にクジラなのか.「昭島とクジラ」をネット検索したことから思いもしない結果に辿り着きました.
 もう一つ,昭島について以前から気になっているのは米軍横田基地のことです.つい最近,横田基地にオスプレイが配備されることになって,マスメディアにも注目されていました.基地の周辺は保育園や幼稚園,小・中学校,高校・大学などが点在する住宅密集地で,沖縄の普天間飛行場よりもさらに高密度であることに問題はないのでしょうか.

憲政記念公園で出会った『楷の木』について調べてみました(2018.4.29.編集, 林試の森公園 2018.5.1.追記).
その2(湯島聖堂 2018.5.22.追記)
その3(小石川植物園 2018.5.27.追記)

 4月の初めごろ,国会議事堂前の憲政記念公園で八重桜を鑑賞していましたら『楷の木』という名の不思議な樹木に出会いました.ネット検索してみますと,中国由来のウルシ科の樹木と判りましたが,雌雄異株のはずが,どう見ても2種類の花が咲いているようなのが気になっておりました.
 最近になって,わが国で最初に『楷の木』を育成した東京都立林試の森公園を訪問し,原木を見せて頂きました.職員の方にお伺いしたところ,最近は花を付けたのを見たことがなく,日当たりが悪い所為ではないかとのことでした.しかし,樹木の説明板には「赤い粟粒は蕾で,それが開いて淡黄色の花になる」とあって,2種類の花の謎はようやく解けたように思われました.
 その後,もう一度詳しいネット検索を行うことによって,すでに見ていた『楷の木』は雄株であったこと,雌株は小石川植物園や湯島聖堂で見られることを知りました.いつか雌花を目にしてみたいものです.

目黒駅から田町駅まで約1万歩を歩いてみました(2018.3.23.編集).
その2

 3月22日に建築同期の勉強会が田町駅前で予定されていましたので,その途中の自然教育園に立ち寄るつもりでしたが,あいにく祭日の翌日と云うことで閉館でしたので,思い切って田町まで歩くことにしました.
 前半の目黒通りでは,まず東大医科学研究所に立ち寄り,白金台の高級マンション街を横目に,八芳園敷地内の古地老稲荷神社とシェラトン都ホテルを経由して清正公前に出ました.後半の桜田通りは魚籃坂下あたりからお寺さんばかりで,そのお蔭もあってツバキをはじめとする沢山の植物に恵まれました.日頃あまり馴染みのない地域でしたが,約2時間かけて植物散策を楽しむことができました.

日本建築学会で開催された『メキシコ中部の地震災害調査団』速報会に参加してきました(2018.2.18.編集).
その2(2018.2.21.追記)

 2月16日に日本建築学会で開催された『メキシコ中部の地震災害調査団』速報会に参加させて頂きました.調査団は斉藤大樹氏(豊橋技術科学大学)を団長とし,日本建築学会災害委員会と日本地震工学会地震災害対応委員会の若手研究者4名で構成される小規模なもので,調査対象は昨年9月19日に発生したメキシコ中部の地震におけるメキシコ市の建築被害とのことでした.
 この地震は偶然にも1985年のメキシコ地震と同じ日に発生していて,メキシコ市ではこの32年前の地震災害の追悼行事の最中での被災だったようです.速報会の会場には,この32年前の地震調査に従事した懐かしい顔ぶれも多く見られました.若手研究者を暖かく見守りつつも,会場に大変厳しい質問が飛び交っていたのは,調査報告が建物被害の細部ばかりに及んで震災の全体像が一向に見えない苛立ちからでしょうが,32年前の我々の調査も先輩方から見たら同じであったのかも知れません.

冬の植物園をいくつか散策してみました(もえぎ野公園,泉の森,自然教育園 2018.2.5.編集).
その2(小石川植物園 2018.2.5.編集)
その3(野毛山公園 2018.2.11.編集)
その4(井の頭公園 2018.2.18.編集)
その5(港の見える丘公園,山下公園 2018.2.20.編集)
その6(もえぎ野公園 2018.3.4.編集)

 何かの用事で外出する時に,ついでにその近くの植物園に立ち寄るということを,最近になって実行しています.
 冬の植物園と云うのは何だか物悲しくて,これまで殆ど訪ねたことはありませんでしたが,実際に散策してみますと,これもなかなか捨てたものではないと考えを改めるようになってきました.
 寒い冬の,お化粧を落としたような樹木の姿に,意匠を施す前の建築構造を連想したり,赤い木の実や草の実に自然と安らぎを感じたりすることにも,なんだか不思議な気がしています.

神田和泉町・佐久間町界隈を歩いてきました(2017.11.4.編集).
その2(2017.11.4.編集, 11.17.追記)

 「神田和泉町・佐久間町はなぜ焼け残ることができたのか?」下に掲げさせて頂いた『震災豫防調査會報告第百号(戊)関東大地震調査報文火災:東京市火災動態地図』を見れば,誰しもが抱く疑問ではないでしょうか.この地図で,神田から両国にかけての地域を切り取ったのには訳があります.隅田川の対岸には2万坪の広大な敷地[被服廠跡]があって,そこに家財道具ごと避難して安堵していた4万人もの人々が,やがて襲ってきた広域火災に伴う大旋風の犠牲になると云う,もう一方の大事件があったことを忘れてはならないと考えるからです.
 関東大震災とりわけ大震火災について,筆者にとりましては『震災豫防調査會報告第百号』と共に,吉村昭氏の『関東大震災』の存在が大きかったのですが,以前(1986年)に『震災が地域社会に及ぼす影響』という論説を「建築防災(建防協,機関誌)」に連載させて頂いたことで,考察を終えたつもりになっていました.
 つい最近になって,竜ケ崎地震や関東地震に興味を抱かれた研究仲間のN氏から,関東大震災当時に機能していた和泉町ポンプ所が現在も健在であること,司馬遼太郎氏の著書の中にも神田和泉町・佐久間町の住民が一丸となった消火・防火活動についての記述があることを教えて戴きました.そこで改めて神田和泉町・佐久間町を訪ねてみることにしました.

九州北部水害の被災地を訪ねてきました(2017.9.17.編集).
その2

 九州北部水害が発生した時は折悪しく入院中で,詳しいことが判らずに悶々として過ごしていました.広島で開催された日本建築学会年次大会の後,災害から2カ月後の9月5日にようやく現地調査を行うことができました.限られた時間の中で体調も充分ではなかったこともあってレンタカーに頼ることにしました.福岡空港で予約しておいた軽自動車は6時間で約4000円とのことで,リタイア組にとって願ってもないことでした.時間の制約もあって,調査は殆ど松末地区を含む赤谷川流域に絞ることにしました.現地に入ってみると杷木星丸から先は立ち入り禁止になっていましたが,地元ナンバーの軽自動車が幸いしてか,そのまま先に進むことができました.
 資料によりますと,降水量は3時間で400mm,24時間で1,000mmと云う凄まじいものでしたが,さらなる問題は地形・地質環境と地盤条件,そして地域の産業形態にあったのではないかと思われました.産総研の地質図によりますと,この地域は中生代初期の変成岩や白亜紀の深成岩が露出しているそうで,これが風化して表面が真砂と呼ばれる砂質土となり,豪雨によって浸食→運搬→堆積される過程によって,今回の災害はほぼ説明できるように思われました.
 さらに災害を大きくしたのは周囲の山腹を覆いつくす戦後のスギの植林事業でした.スギ林が侵食され,流木となって被害を大きくし,さらに人命救助や応急復旧の大きな妨げになったことは,今回の豪雨災害の大きな特徴となっているように思われました.

日本建築学会年次大会の機会に広島と岩国を訪ねてきました(2017.9.9.編集,9.15.追記).
その2

 2017年8月31日から9月3日までの期間,広島工業大学で開催された日本建築学会年次大会に参加し,その合間を利用して周辺の気になる所を訪ねてきました.広島の宿は取れず,岩国が活動の拠点となりましたが,初体験の岩国もまた魅力に溢れていました.

念願の津和野を歩いてきました(2017.5.6.編集).
その2

 建築仲間K氏の作品を見せて頂く目的で津和野を訪れる機会がありました.K氏は我々の野草の会の師匠でもありますので,必然的に建築作品と野草を愛でる旅となりました.憧れの津和野は期待にたがわず,街並みと歴史と自然とが見事に調和した町でした.

熊本地震から1年後の熊本を訪ねてきました(2017.5.1.編集).
その2
その3

 今回の熊本訪問は『熊本地震1周年報告会』への参加と併せて,熊本地震から1年後の復興状況を見せて頂くのが目的でした.唯一気になっていたのは,まだ西原村の被災状況を見せて頂く機会を持てなかったことで,そのため今回は真っ先に西原村へ向かいました.地元の方々のご親切にも助けられて,何とか目的を達することができたのはありがたいことでした.もう一つの心残りは水前寺公園の被災状況を確認できていなかったことでしたが,この点についても既に被害の痕跡は残ってはいなかったものの,現地を見せて頂くことによって被災状況を理解することができました.
 『熊本地震1周年報告会』の講演内容は既に公開されている防災学術連携体のホームページで入手できますが,特に印象に残ったのは熊本県と熊本市による地元行政の立場からの報告でした.発災直後の被害状況を把握することの困難さや被災者の救出活動,住民の避難生活への配慮,さらには仮設住宅建設へと課題が山積する中で,兵庫県南部地震以降の種々の災害を経験した地方自治体との協力関係が上手く機能しつつある点は高く評価されてよいと思われました.また,熊本城の復興は今回の震災復興のシンボル的存在でもあり,担当者による復興計画の提示は被災地に希望を与える内容であったと好感が持てました.
 報告会の翌日に実施された『熊本復興視察ツアー』では,益城町の地震断層視察の他は,全て復興に着手し始めた典型的な現場を解説付きで見せて頂きました.とりわけ最後に訪れた阿蘇大橋の崩壊現場は,これまで橋の反対側からしか見ていませんでしたので本当に圧倒されました.

京都嵯峨野を散策する機会に恵まれました(2017.4.29.編集).
その2

 2016年の新書大賞第1位に輝いた『京都ぎらい』(井上章一/朝日新聞出版)を読ませて頂き「なるほど」と感じ入っておりましたが,先日,ご当地嵯峨野を訪れる機会に恵まれました.それは偶々,大学卒業50周年記念同期会が京都で開催されたからですが,同行の仲間たちとこの『京都ぎらいの旅(嵯峨野散策)』を存分に楽しむことができました.

野草散策の途上,偶然にも45年前の『がけ崩れ実験事故現場』に遭遇しました(2017.3.9.再編集).

 大学同期の野草の会で川崎市向ヶ丘遊園の中を散策していて,偶然にも下の写真の慰霊碑に出逢いました.この事故が発生したのは昭和46(1971)年11月のことで,正にその時,大学院を修了しゼネコンの技術研究所に所属して3年目,私は1968年十勝沖地震で長周期地震動が観測された八戸市で,その地震動解明のための『地下深部地盤探査(人工地震探査)』に参加していました.指導者は東大地震研や北大の地物・地震学の教授陣で,実験を主宰していたのが科学技術庁国立防災科学センターでした.同じ科技庁の実験で人身事故が発生したため,我々の調査にも直ちに停止命令が下り,調査が安全かどうかを本省の担当官が確認に来ました.しばらくして調査は無事に再開されました.

世田谷区役所の周辺を歩いてきました(2017.3.6.編集).
その2
追録

 都内へ出たついでに,世田谷区役所の周辺をゆっくり歩いてみました.目的と云えば,前川國男氏設計の世田谷区役所をめぐる保存か解体かの議論がありましたので,それを一度見ておきたいとの気持ちがありました.突然の訪問だったこともあって,区民会館のオーディトリアムを見せて戴くことは叶いませんでした.事前に見学届を提出する必要があるそうで,正にお役所仕事の応対でした.
 今,話題の『森友学園』ではありませんが,『松下村塾』の吉田松陰を祀った松陰神社も初体験でした.世田谷区で作成している「せたがや文化マップ」のお蔭で,世田谷城跡や豪徳寺についても学ぶことができました.豪徳寺の境内には若い女性客(?)が目につきましたが,どうも『招き猫』に招かれたようでした.
 ところで,世田谷区について本当に勉強したいのは「地震火災に対する脆弱性」の問題についてでした.実際に歩いてみると一方通行だらけで(車でなかったのが幸いでしたが),『世田谷ダンジョン(迷宮? 迷路?)』と云う言葉の存在を初めて知りました.

1月末から2月初旬にかけて沖縄を訪ねてきました(2017.2.11.編集).
その2
その3
その4
追録1
追録2

 普天間飛行場の辺野古移設の問題や太平洋戦争末期の沖縄戦のこと,ひいてはそれ以前の琉球王朝時代からの歴史を知りたくて,沖縄を訪問してきました.筆者にとっては初めての沖縄体験でした.
 やはり現地に行かないと判らないもので,普天間飛行場の辺野古移設の問題についてはとんでもない思い違いをしていたことが大変良く理解できました.それは単なる代替地への移し替えではなく,空港と軍港とを兼ね備えた本格的かつ大規模な軍事施設の新設でした.
 沖縄訪問の前に石原昌家著『沖縄の旅・アブチラガマと轟の壕-国内が戦場になったとき(集英社新書)』を読んでから出かけたのですが,それでも沖縄戦の最期の壕(ガマと呼ばれる琉球石灰岩の洞窟)の中での悲惨な状況は想像を絶するものでした.有名な『ひめゆりの塔』の話はその一部ですが,同じような壕は沖縄本島南部地域に無数に存在していました.
 独特の文化を育んだ琉球王朝の時代から島津藩による琉球支配,明治の琉球処分を経て,太平洋戦争では本土防衛のための防波堤(『捨て石』とも呼ばれています)として悲惨な最期を遂げ,今またわが国全体の74%もの面積の米軍基地を背負わされている沖縄県とはいったい何なのかと思わざるを得ません.これ以上の沖縄差別が続くのであれば『日本からの沖縄独立』も究極の選択としてあり得るのかも知れないと,考えさせられることの多い沖縄訪問でした.
 東日本大震災以後の備忘録ないしは切り抜き帳(その46, 2/7, 2/14)に関連の記事があります.

熊本地震その後-熊本城の歴史と被害に注目して(2016.8.18.編集).

 熊本城の地震災害は石垣の崩壊が顕著で,それに比べて城郭自体の被害は二次的なものではなかったかと考えられます.一本石垣が注目された飯田丸五階櫓には特にそれが象徴的に現れていて,天守閣の被害はほとんど瓦屋根の崩落のみと云っても良いほどでした.復興に際しては,石垣の積み直しから行う必要があるので,長期戦を覚悟する必要がありそうです.
 その後,熊本城に関するいくつかの情報に接する機会がありましたので,この追加資料を準備してみました.

熊本地震についての追記です(2016.6.4.編集).

 5月5~6日の現地調査の際には西原村を訪ねることができませんでしたが,益城町と並んで被害が大きく,地震動の強さも震度7とのことでした.最近になって,新聞報道で集団移転の話が出ていることを知りましたが,後日の報道によりますと西原村はその報道は誤報であったと云い,新聞社もそれを認めているようです.
 この機会に,日本建築学会の中で公開されているウェブサイトから,地震動の強さについての情報を転載させていただきました.

関東・東北豪雨(2015.9.10.)に伴う鬼怒川決壊の被災地を再び確認してきました(2016.5.31.編集).

 9月10日の鬼怒川決壊から2ヶ月後に,一度被災現場を見ておかなければと思い立ち,常総市を訪ねてきましたが,今回,約半年後にもう一度被災現場がどうなったか見てきました.奇しくも,その10日後に新聞報道で決壊した堤防の修復作業が完成したことを知りました.

5月5-6日に熊本地震の被災地を訪ねてきました(2016.5.13.編集).
その2
その3
その4
その5

 5月5日と6日の両日,駆け足で熊本地震の被災地を訪ねてきました.主な立ち寄り先は,伊方町の伊方原発ビジターズハウス(到着が遅くなり入館できず),阿蘇市の阿蘇神社,南阿蘇村の東海大学学生寮,阿蘇大橋,黒川地区,河陽地区高野台団地などで,阿蘇市赤水から迂回路の大津町を経て益城町へ入りました.
 伊方原発と佐田岬半島は一度は見ておきたかった所で,そのため今回の調査では自宅から車を利用し,三崎港から佐賀関へ渡る国道九四フェリーにも助けられ,阿蘇市の宮地駅前に到着したのは5月5日の未明でした.そのまま2日連続の車中泊となりましたが,そのお蔭で,日の出から日没までを有効活用して調査に励み,夕刻には熊本市内のビジネスホテルに泊まることができました.
 今回の調査で最も多くの時間を費やしたのは,やはり被害甚大の益城町であり,当然の選択であったように思われます.現地では,災害対策の最前線で活躍している研究室の卒業生に逢い,多くの地元の方々からも貴重な体験談を伺うことができました.真に有難いことと感謝しています.
 関連資料が『東日本大震災から5年後の現実:備忘録ないしは切り抜き帳(その29, 30,31)』の中にあります.

新宿ゴールデン街がどんなところか見てきました(2016.4.18.編集).

 4月12日に新宿ゴールデン街で火事がありマスコミでも大きく取り上げられました.テレビ報道の映像を見ると,同じ新宿でも,新宿歌舞伎町のいわゆる雑居ビルの火災とはどこか様子が違うようです.そこで,新宿ゴールデン街とはどんな所なのか,訪ねてみました.
 ウィキペディアによりますと,新宿ゴールデン街の起源は太平洋戦争終結後の混乱期にできた闇市に起源があるようです.当時の東京都淀橋区・四谷区周辺では闇市が軒を連ねていて,新宿駅の東側には関東尾津組による「新宿マーケット」が広がっていたそうです.その後,新宿マーケットは屋台を中心とした飲み屋街に変貌し「竜宮マート」と呼ばれるようになりました.しかし,1949年に連合国軍総司令部(GHQ)が闇市撤廃を指示するに至り,東京都庁と警視庁は各店舗に対して翌年までの移転を命じました.それにともない,闇市の各店舗は代替地として新宿区三光町(今の歌舞伎町1丁目と新宿5丁目の一部)の一帯に移転し,その一帯が新宿ゴールデン街と呼ばれるようになったとのことです.

春の寺家ふるさと村ともえぎ野公園を歩いてきました(2016.4.10.再編集).

 横浜市が管理している青葉区の『寺家ふるさと村』は,里山風景の保存地区で,野草の宝庫でもあります.一週間ごとにチェックしていないと野草の入れ替わりを見逃してしまうほどです.桜が満開の今頃はすみれの季節でもあり,ヤマルリソウ,イチリンソウ,ニリンソウなどは見事にテリトリーを守って咲いています.
 もう一つのお気に入りは東急田園都市線藤が丘駅に近い『もえぎ野公園』です.寺家ふるさと村とは異なる種類の野草がありますので,やはりチェックが欠かせません.シュンラン,ヒトリシズカ,ホタルカズラ,ウグイスカグラ,ニワトコ,シャガなどが見ごろを迎えています.
 わが家の庭にも結構な数の植物が野草と共存しながら茂っていますが,油断をすると野草の勢いに押されて隠れてしまいそうです.

福岡沖地震から11周年の玄界島を訪ねてきました(資料編集:2016年3月25日).

 2005年3月20日に発生した福岡沖地震からちょうど11年目に福岡を訪問する機会がありましたので,完全に復興した玄界島を見ておきたいと思い,訪ねてみることにしました.
 玄界島までは博多埠頭から市営渡船で僅か35分の距離で大変便利なのですが,島に着いてから難問にぶつかりました.帰りの船便は上陸から僅か25分後か,それともさらに3時間後のどちらかを選ばねばなりませんでした.狭い島の中で3時間余を過ごすのは大変でしたので,即座に25分間の方を選択し,直ちに高台最上段の玄界小中学校を目指しました.
 なんとも忙しない現地調査となりましたが,これまでに地震直後(地震翌日)の全島民が島外避難された後の惨状と,大規模な斜面の造成工事中のところを見せて頂いておりましたので,今回は新しくなった街の様子を,駆け足で確認するだけで充分でした.

皇居東御苑を歩いてきました(2015.11.24.編集).

 小春日和の中,皇居東御苑を野草散策の目的で歩いてきました.東御苑は一般に開放されていて,その気にさえなれば何時でも訪ねることはできるのですが,なかなか機会がありませんでした.
 初めて東御苑に入って圧倒されたのは石垣の見事さでした.江戸城ですから石垣があるのは当然なのでしょうが,御苑という言葉に勝手に騙されておりました.特に元禄の大地震で崩れた石垣を修復した痕跡が残されているところは印象的でした.
 野草をはじめとする植物群も,広々とした敷地の中でのびのびと育っているところが何とも心地よく感じられました.訪問客は大きく4つのグループが目に付きました.外国人の観光旅行のグループ,昼休みをくつろぐ近隣のサラリーマンやOL,広い芝生で遊ぶ子供連れ,そして我々のように散策を楽しむ老夫婦といったところでしょうか.

関東・東北豪雨(2015.9.10.)に伴う鬼怒川決壊の被災地を歩いてきました(2015.11.19.編集).

 9月10日の鬼怒川決壊から2ヶ月以上が経過した11月16日になって,やはり被災現場を見ておかなければと思い立ち,電車で常総市に向かいました.横浜から北千住経由で取手へ,そして関東鉄道常総線で水海道まで約3時間を要しました.
 現地を歩いた印象として,鬼怒川と小貝川に挟まれた常総市にとって豪雨災害は云わば宿命ではないかと強く感じました.鬼怒川の決壊は昭和13年以来とのことで,やはり災害は忘れた頃が問題なのかも知れません.
 関連資料が『折々のトピックス(2015.9.10.編集)』と『東日本大震災から4年半後の現実:備忘録ないしは切り抜き帳(その21)』の中(9/17)にあります.

最近問題になっている施工不良マンションの立地条件を見てきました(2015.11.18.編集).

 最近問題になっている施工不良マンションには,杭打ち工事に関するデータ改竄すなわち施工段階の管理データを故意に書き換えたりねつ造したりする場合と,杭打ちが支持層まで達していないのに工事を打ち切ってしまう本来の施工不良の場合の2種類が混在しているようです.
 11月3日に横浜市の2つの現場を訪ねてみましたが,現地のガードはやはり固くて,問題の個所を見せて頂くことはできませんでした.それでもウェブサイトをしきりに検索していますと,問題の所在は自ずから見えてきました.
 ごく最近になって,古い地形図でマンションの立地環境を調べながら,考えたことを整理してみました.
 関連記事が『東日本大震災から4年半後の現実:備忘録ないしは切り抜き帳(その22)』の中(11/4)にあります.

立川市砂川町を訪問するついでに周辺を歩いてきました(2015.11.7.編集).

 たまたま新聞で『基地拡張拒んだ…砂川闘争60年』なる記事を見て,砂川町を訪ねてみようと思い立ちました.関連のイベント(講演会や展示,記録映画の上映)も予定されているとのこと.すぐさま行動に移せるのはリタイア組の特権で,これを利用しない手はありません.
 そこで下の地図のような行程を組んで,昭和記念公園から砂川町に出て,玉川上水に沿って歩き,その後は多摩モノレールで立川駅に戻り,イベント会場へと向かいました.イベントはたいへん盛りだくさんで,とても全てを紹介することはできませんが,砂川闘争60周年のつどい実行委員会およびボランティアの皆さんの熱意には本当に圧倒されました.また,かつての砂川闘争と現在の米軍横田基地,沖縄の問題が一連のものであることが非常に良く判りました.
 もう一つ忘れられないのは,砂川町の上空をひっきりなしに行き来する自衛隊ヘリの轟音でした.あまりの頻度に驚いたのですが,もしこれがオスプレイなら騒音の大きさはこの比ではないものと思われます.
 関連記事が『東日本大震災から4年半後の現実:備忘録ないしは切り抜き帳(その23)』の中(11/10)にあります.

神戸市で開催された日本地震学会秋季大会に参加してきました(2015.11.2.編集).

 今年の地震学会秋季大会はポートアイランド(地元では略してポーアイと呼ばれる)の神戸国際会議場で開催されました.昨年の建築学会年次大会も神戸大学で開催されていましたので,学会での神戸訪問は2年連続となりました.
 今回の特徴の一つは『阪神・淡路大震災から20年を迎えた地震研究の到達点と課題』との特別セッションが設けられていたことで,神戸開催は正にタイムリーでした.そう云えば,昨年の新潟大会は『新潟地震50周年,新潟中越地震10周年』を記念する大会であったのに,新潟地震の方は殆ど顧みられることがなかったとの印象がありました.果たして今回は・・・

3泊4日で草津白根から志賀高原,糸魚川を経由して大糸線沿いに小谷・白馬両村を見てきました(2015.10.15.編集).
その2

 高校時代の同窓会が草津温泉で開催されることになり,その機会を利用して,これまで訪れたことがなかった白根山,志賀高原,糸魚川,そして昨年11月に長野県北部地震で被災した小谷村と白馬村を一挙に訪問することにしました.これらの地域を効率よく回るには車を利用するのが好都合で,宿泊地は同窓会の開催地である草津と,志賀高原の高天ヶ原,白馬村に定めて出発しました.
 高校の同窓会については個人情報のこともありますので,ここには一切掲載していませんが,何と80人もの参加がありました.毎度のことですが地方の高校にしては出席率が高く,学生時代に帰って(学生時代の写真を銘々が首にぶら下げて)存分に楽しむことができました.
 実は,白根山は火山活動が活発なため(白根山の火山活動を監視しているのは我が東京工業大学なのですが)湯釜へは行けませんでしたが,同窓会の始まる前に本白根山に登ってきました.天候は良かったのですが,吹き上げる風は強烈で,何度も吹き飛ばされそうになりながらの登山となりました.
 白根から志賀高原へ抜ける渋峠ルート(国道292号)は海抜2,152メートルで,ガスのためライトを点灯しないと走れないほどでしたが,火山活動による規制のため夕方5時以降は通行禁止ということもあって,スリル満点でした.
 志賀高原では目が覚めるような黄葉の樹林(ぶな林)を満喫しましたが,それもつかの間で,上信越自動車道で糸魚川に向かいました.それ以降のルートの説明は不要と思いますので割愛させて頂きますが,建築の友人からの助言があって糸魚川の谷村美術館を見ることができたのは誠に幸運でした.
 長野県北部の地震(長野県神城断層地震)が発生したのは昨年11月22日のことで,新潟市で開催される地震学会年次大会に出発する直前のことでした.地震学会の帰路に立ち寄るべく切符の手配もしていたのですが,大糸線が斜面崩壊で不通になり,結局,直後の現地調査は断念することになりました.その後もなかなか訪問の機会がありませんでしたので,今回の小旅行の第一の目的は小谷・白馬両村を訪問することにありました.その結果や如何に・・・

今回の台風18号災害に関係して鬼怒川決壊のTV報道には心が痛みました(2015.9.10.編集).

 災害報道の時は何時もそうなのですが,災害現場は一体どこなのか,そこの地理・地形の環境はどのようなものか,と云ったことが大変気になります.利根川水域でもとりわけ小貝川流域は,これまでにも多くの水害があったと思いますが,それにも増して今回の水害が酷かった理由を知りたいと思っています.
 自分では何も調査できませんが,とりあえずウェブサイトから,いくつかの基本的な情報を得ることができました.今回はじめて「日本河川図」や「川だけ地図」の存在を知ることができただけでも良い勉強になりました.
 関連記事が『東日本大震災から4年半後の現実:備忘録ないしは切り抜き帳(その21)』の中(9/17)にあります.

東海大学湘南キャンパスで9/4~9/6に開催された日本建築学会年次大会に参加しました(2015.9.7.編集).

 今年の大会は関東大会ということで,特に神奈川県在住者にとってはありがたいことでしたが,それでもバスや電車を使って会場まで到着するには2時間弱を要しました.会場の教室が込み合うこともなく,暑くもなくて,例年になく快適な大会でした.週末にはキャンパス内で朝市も開催されていてラッキーと思っていましたら,わざわざ大会のために準備された地元のご好意とのことでした.
 大会の中身は,学術講演会(一般の口頭発表)が66の教室で同時進行で行われ,この他にテーマ別の36の研究協議会やパネルディスカッションが準備されていて,これらの中から自分の関連分野や興味の対象を探して参加することになります.招待講演は別にして,一般の口頭発表の場合には持ち時間が8分(発表時間は僅か6分だけ)しかないので,発表者は額に汗して早口で孤軍奮闘していました.リタイアした身としてはそれらの研究発表を楽しみながら拝聴することになり申し訳なく感じておりました.
 発表内容を遠くから聴いておりますと,最先端の手法を駆使した発表が見られる一方で,昔ながらの研究課題を未だにコツコツと行っている発表もあって,言いたいことはあっても実際にそれを口にすることはなかなか容易ではありません.気が付けばいつの間にか「大局を見失うな…」と岡目八目の心境になっておりました.
 大会での何よりの楽しみは,旧知の友人に効率よく逢えることで,長話をしなくとも心が通じ合い安心した気持ちになれるから不思議なものです.

以前(2007年11月)に栃木県の大谷石採石場跡や今市地震の痕跡を巡るツアーを企画・実行した時の資料をまとめてみました(2015.8.26.編集).
その2
その3

 日本免震構造協会内部の委員会ではある時期に,メンバーの親睦も兼ねて,地震活断層を見学に行くということを毎年やっておりました.2007年11月には鬼怒川温泉に1泊して,周辺の地震環境や大谷石採石場を見学するツアーを企画・実行しました.
 注目すべき見どころは3つあって,1つは,建築材料として名の知れた大谷石(フランク・ロイド・ライト設計になる旧帝国ホテルのエントランスに多用されている)の採掘場跡とそれが1989年に突然陥没崩壊した現場を視察すること.2つ目は,1949年に発生した今市地震の痕跡を確認すること.そして3つ目は,主目的である関谷活断層を実際に視察することでした.
 いずれの場所もかなり年月が経過した後の視察ですので,企画担当としては心配もあったのですが,参加されたメンバーの方々にはなんとか満足して頂けたようで安堵したことを覚えています.
 このうち,日光杉並木に残された今市地震による地滑り跡(地震坂)は,ごく最近の台風によって杉並木の一部が大きな被害を受けたことから,今も健在(?)かどうか確認ができておりません.

ずっと昔,キューバを訪問した時の資料をまとめてみました(2015.8.26.編集).
その2

 ずいぶん昔(1996年)のことですが,JICA(当時の国際協力事業団)の依頼でキューバに短期専門家として派遣されたことがありました.地震防災の国家支援プロジェクトを立ち上げるに当たって,当地にそれを受け入れるだけの準備や人材が整っているかどうかを調べてくるのが目的でした.
 当時はフィデル・カストロ議長もまだ健在でしたが,ソ連邦の崩壊によって経済的危機の状態にあったのは共産諸国に共通のこととして,キューバにはさらに米国の支援だけは受けたくないと云う意地のようなものがあったようです.
 ハバナの街を歩いてまず気がついたのは,スペイン統治時代の組石造建築群がその後アメリカによってペンキだらけにされた姿でした.しかもそれらの建築群は全く補修がなされておらず外壁が相当痛んでおりました.街路を走る車はポンコツの大型アメ車ばかりでした.
 国家地震学研究センター(CENAIS)の研究者と出会ってからの印象はすっかり変わってしまいました.優秀な研究者はソ連留学の経験者ばかりで,研究に対してずべての知識を吸収したいとの意欲の凄さには圧倒される思いでした.それこそパソコンなど,すべての部品をバラバラにして即座に組み立ててしまうほどです.
 「まさに,不足していたのは経済力だけ」ということが良く理解でき,JICAにもそのように報告させてもらいました.しかし,非常に残念なことにJICAにはこのプロジェクトを即座には実施に移せない事情があったようです.一つには,大きな災害の直後であれば事業の立ち上げは比較的容易であるが,災害が起こってもいない地域での新規事業の立ち上げには躊躇いがあること.
 もう一つは恐らく,米国に対する遠慮みたいなことがあったのではないかと云うことでした.後者については全くの想像に過ぎませんが,恐らくそうでしょう.とても残念です.
 一つだけ大変嬉しかったのは,このキューバ訪問のお蔭で,文部省科研費を受けて我々が実施していた地震防災の国際共同研究にキューバの研究者も加わってもらえたことでした.

京都散策の機会に琵琶湖疎水に沿って歩いてきました(2015.6.17.編集).

 大学時代の同期の仲間と京都を散策する機会がありました.主目的は栂尾高山寺・槙尾西明寺・高尾(雄)神護寺を巡る三尾ハイキングコースでの野草の会でしたが,以前TV番組『ぶらタモリ』で紹介されていた琵琶湖疎水をどうしても見たくて,その翌日に決行することになりました.この無謀な計画を見かねた京都に詳しい友人のお蔭で,目的をほぼ達成することができました.
 琵琶湖疎水は第3代京都府知事・北垣国道の努力によって明治18年の着工からわずか5年後の明治23年に完成していますが,驚くべきは当時工部大学校学生であった田辺朔郎の卒業論文「琵琶湖疏水工事の計画」がその端緒となっていることです.また,北垣知事が田辺青年の技量を見込んで,すぐさま土木技師として招聘し工事に当たらせたことも大変な決断であったと思われます.
 琵琶湖の水を京都に誘導することは,ただ単に飲料水の確保ばかりでなく,水運を開き,水力発電によって西陣織などの工場を興し,路面電車を走らせるなど,東京遷都によって衰退の危機に瀕していた京都に活力を呼び戻すために甚だ貢献大であったとのことです.

新潟市で開催された地震学会の年次大会に参加してきました(資料編集:2014年12月5日).

 11月24日から26日までの3日間,地震学会秋季大会が新潟市で開催されました.
 会場は写真撮影禁止とのことで画像はなにもありませんが,非常に残念であったのは『新潟地震50周年・新潟県中越地震10周年』を謳いながら,新潟地震についての発表も記念行事も殆ど見られなかったことです.
 新潟県防災局の方の防災行政に関する報告の中にも,中越地震のことは丹念に考慮されているのに対して,新潟地震への関心は皆無でしたし,市内を歩いて新潟地震の痕跡が何か残っていないかと探してみましたが,何も見当たりませんでした.
 それではと,なるべく高齢者を探して声を掛けてみたのですがこれも空振りで,まるで『浦島太郎』状態でした.
 中越地震と新潟地震とでは全く震災の格が違います.新潟市内で今後,新潟地震の時のような地盤災害が発生しないのであれば,それでも良いのかも知れませんが,本当にそうでしょうか?
 関連記事が『東日本大震災の現状と問題点~備忘録(その11)~』の中にあります.

8月20日に発生した広島市安佐南区の土砂災害現場を調査してきました(資料編集:2014年9月17日).

 8月20日から新聞やTVでは繰り返し広島土砂災害の様子が詳細に報じられていました.
 しかし,被災地の地形・地盤環境や,被災地相互の位置関係をきちんと理解しようと思えば,やはり現地を見せて頂くしか方法がなく,神戸で日本建築学会年次大会が開催される直前の9月10,11の両日に広島を訪問してきました.
 特に10日は,残された2人の遺体捜索のために自衛隊・警察・消防が総動員で活動中であり,現場の雰囲気は重々しく感じられました.残された2人のうちの1人,新聞配達員の男性が発見されたことは翌日のTV報道で知ることができました.
 それまでの平和で穏やかな家庭生活を一夜にして奪い去ってしまう土砂災害の酷さには本当に心が痛みますが,その一方において,私たちが終の棲家を得てそこに住むという行為には,経済性や利便性・快適性といった側面だけでなく,安全面での周到な心づもりが必要であることを今さらながら痛感させられた次第です.
 関連記事が『東日本大震災の現状と問題点~備忘録(その11)~』の中にあります.

台風26号で土石流災害を蒙った伊豆大島に行ってきました(資料編集:2013年10月24日).

 10月22日に日帰りで伊豆大島を訪問してきました.伊豆大島へ行くのは1986年の三原山噴火災害の時以来ですが,三原山カルデラ内部に溢れ出て冷え固まった溶岩流や山腹に点々と連なった割れ目噴火の火口列は,今でも鮮明に記憶に残っています.
 その時の火山灰で覆われた山腹斜面が今回の台風26号による824mmもの総降水量によって崩壊を起こし,元町地区の一部が土石流に飲み込まれた様子をTVや新聞報道で見ておりましたが,どうしても被災地域の拡がりの大きさや位置関係がつかめず,捜索活動の邪魔にならないよう現地を歩いてきました.
 大島へは竹芝桟橋から高速ジェット船で2時間弱,以前に比べれば随分と便利になったものです.帰りの船便までちょうど3時間をひたすら歩くことに専念しました.
 関連記事が『東日本大震災の現状と問題点~備忘録(その6)~』の中にあります.

2011年台風12号で被災した紀伊半島南部の状況(作成:2012年9月3日).

 2011年9月の台風12号豪雨災害調査は2011年10月に行ったものです.
 明治22(1889)年の大水害に匹敵する災害とのことで,その122年前の水害の時には十津川村の被害が余りにも大きかったために2500人もの村人が北海道に移住したり,熊野川の中洲にあった熊野坐神社が壊滅・流失し現在の熊野本宮大社へと移築されるといった大事件が発生しています.
 今回の豪雨災害ではゆっくり台風による豪雨(累積降雨量1600mm以上)が熊野川(十津川)上流の山間地域で深層崩壊をもたらし,下流地域では東日本大震災の津波災害に匹敵するような大洪水をもたらしました.

紀州串本の橋杭岩(撮影:2011年10月).

 2011年9月の台風12号豪雨災害調査(下欄を追加しました)の途中に立ち寄ってきました.その時は特段気にとめていませんでしたが,最新号の文科省地震本部ニュースによれば,周辺に散乱している巨礫は橋杭岩が津波によって破壊された,いわゆる津波石ではないかとのことです.

大自然の驚異(シリア)

 シリアは現在とても気の毒な政治情勢に置かれていますが,東トルコと同様の歴史建築の調査を行う機会がありました.
 このような現地調査は,相手国の研究者との友好関係があってはじめて成り立つものであることは云うまでもありません.
 地元の方々は特段驚きもしないのですが,やはりここでも大自然の驚異と,そのような自然環境のもとで生活している人々の暮らしぶりには圧倒される思いでした.

大自然の驚異(東トルコ)
歴史遺産としての古代教会建築(東トルコ)

 東工大篠野研究室が行っている歴史遺産としての教会建築の調査のために,何度か東トルコを訪問する機会に恵まれました.
 歴史建築と地震工学のコラボレーションという意義深い研究テーマでしたが,それ以前に,アナトリア高原の大自然の雄大さと異様さに圧倒されてしまいました.
 イスラム世界の中の山奥に古代キリスト教建築がひっそりと息を潜めている姿にも感銘を受けました.

エチオピアの印象(1998年の体験から)

 少し昔の話になりますが,エチオピアを訪問した時の印象が今でも強く心に残っていますので,数葉の写真を掲載させて頂きます.
 エチオピアに限らず当時は,留学生が学位を取得した後,母国で活躍している様子が見たくて,また野外調査などの応援がしたくて,国際共同研究の名のもとに可能な限り海外に出かける努力をしておりました.
 専門の研究活動のことは別にしましても,さまざまな気候風土や人々の生活風習に接する機会はとても貴重なもののように思われました.

紀州周参見の褶曲構造(2011年3月~10月)

 『天鳥の褶曲』と呼ばれている褶曲構造を訪問する機会がありました.野球帽がスケールになっていますが予想したよりも小規模なものでした.
 近くには『フェニックス褶曲』と呼ばれる大規模の褶曲構造もあって初回は場所を確認できませんでしたが,後日になって驚くべき展開がありました.
 下の写真は月刊誌『サライ』2019年9月号に掲載されていた写真が余りにも素晴らしかったので転載させて頂きました.

水害調査の合間に撮影した奄美大島の植物を掲載させていただきます(編集 2024.2.11.).
田中一村記念美術館

 奄美大島が植物の宝庫であることを実感させられました.中央画壇から距離を置きここを永住の地と定めた田中一村の日本画にも魅了されました.

2010年10月20日に水害に襲われた奄美大島

 2ヶ月後に被災地を歩き水害の甚大さを実感してきました.時間雨量130mm,連続雨量1,000mmの豪雨は小さな島にとって大変な脅威であったと思われます.

常願寺川の巨大な転石(富山での建築学会大会に際して,2010年9月)

 1858年飛越地震による立山カルデラの崩壊土石がその後の豪雨によって下流まで運ばれてきたもののようです.





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