はじめに



 地震災害にしても豪雨災害にしても,自然災害と呼ばれるものはいつも不意に地域社会の弱点を狙ってやってくるもののようです.

 私たちは何世代にもわたって,苦い経験を通して,なんとか自然災害から町や村を守ろうと努力してきたはずであり,このような経験は子々孫々にまで代々引き継がれているように思われますが,その一方において災害の現場では「このようなひどい災害は生まれて初めて」という言葉をよく耳にします.

 もし寺田寅彦の言葉とされている『天災は忘れた頃にやってくる』のように,災害の再来周期が人々のライフサイクルに比べて非常に長いことだけが問題であるのでしたら,過去の苦い経験を忘れずに済ませる方法はいくらでも考えられるのではないでしょうか.

 問題はむしろ,これもすでに寺田寅彦によって指摘されていることですが,『文明の進化に伴って災害も進化する』ことにあるのではないでしょうか.

 最近になって『国土の変貌と水害』の著者である高橋裕博士がその著書の中で,『豪雨を受け止める国土が変貌すれば洪水の暴れ方は変わり,人間の住み方が変われば水害の現われ方は変わる』と書いておられるのも同じ指摘であるように思われます.

 思い返してみますと,昭和40年代あたりからわが国では経済・産業の高度成長が何よりも重視されるようになり,オイルショックやバブル崩壊による挫折をも乗り越えて,市場原理が幅を利かせる現代社会を造り上げてしまいました.

 このことを我々の身のまわりで思い起こしてみますと,都会においても田舎においても経済性と利便性のみが優先され,安全性や環境保全ということが軽視されてきたために,自然災害に対して非常に脆弱な地域社会ばかりが目に付くようになってしまいました.これから私が注目したいと考えていることも実はこの点に大いに関係しています.

 すなわち「このようなひどい災害は生まれて初めて」という前述の災害現場での言葉の真意は,過去の苦い経験の継承ができていなかったという意味合いよりはむしろ最近の市場原理の波に乗って,地域社会を急激に改変してしまったことによる大自然からのしっぺ返しではないかと考えられないでしょうか.

 もしそれが本当だとしますと我々はこれまで大変な間違いを犯してきたことになります.真理の探究のための研究や生活を豊かで便利にするための研究はもちろん大切なものですが,災害弱者をつくらないようにするにはどうしたら良いかを考えることも忘れてはならないと思います.

社会地震学ってなに?

 『社会地震学』とはこのような考えに基づいた心構えのようなものですが,真理の探求や工学への応用のための地震学ではなく,社会から少しでも地震災害による犠牲者を軽減し,安心して生活できる社会を構築するための地震学と云う意味合いを込めた造語です.

 ここでは,必ずしも地震災害だけを対象とするのではなく,ある地域社会で考えられる種々の自然災害を同じ土俵の上に並べてみることから問題解決の緒が見えてくるのではないかとも考えているところです.そのような理由からここでは,以前から地震災害と同じくらい水害のことを気にしています.





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